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【エッセイライティング】少しだけ母のことが分かった今、ちゃんと言葉にして感謝を伝えよう

これはキャリアスクールSHElikesのWebライティングコースLESSON4
のエッセイライティングの課題で提出した記事です。

要件は以下のとおり
・テーマ:「家族と贈り物にまつわるエッセイ」
・想定読者:20代後半〜30代男女
・依頼背景:
毎月1日を「家族の日」として制定したい。この日に合わせて、読者が「家族のことを考え、贈り物をしたいな…」と思うようなエッセイを掲載し  たいです。直接的に”贈り物をしましょう!”と言及する必要はありません。大事な家族のことを考え、思い出してしまうような、家族と贈り物にまつわるあたたかいエッセイをお願いいたします。
・字数:2,000~5,000字
・与えたい読後感:家族に対して思いを馳せる。あたたかい気持ちになる。

母の日や誕生日。それは、母に日々の感謝を伝える素敵なイベントだが、私の中では完全にルーティンワーク化していた。

母にリクエストを聞くが「特に欲しいものもない」という回答。毎回そうだ。

これが欲しいと言ってくれれば、こちらも楽なのに……と思いつつ、2人の妹と相談してお花や食品など無難なものを送る。メッセージは定型文。
「いつもありがとう、健康に気をつけてください」
照れくさくて、いつもこれしか送れなかった。


母と娘

母と私は真逆のタイプ。長く専業主婦をしていた母は、家に籠っていたいタイプ。26歳で父と結婚。結婚してすぐに私が生まれ、あれよあれよと2歳、そして6歳離れた妹を授かった。人生の大半を育児に費やし、子供が巣立った今もこれといった趣味や物欲もない。

一方私は、家よりも外の世界に出たいタイプ。地元に留まる母を横目に、高校卒業と同時に家を出て都内の大学に進学。
飲み会、サークルにアルバイト……と、典型的なキャンパスライフを謳歌した。就職は都内の会社に決め、タバコの臭いがスーツに染みついた男たちに混じって、朝から夜遅くまで働いた。
あれがやりたい、これがやりたいということが自分の中ではっきりしていて、働いたお金を旅行や洋服につぎ込んだ。

バリ島にて。休みがあれば旅行に飛び回っていた。

母のぼやき

私がこのような性格になったのは、やはり母の存在が大きいと思う。私が思春期に差し掛かった頃、母は「私の人生、子育てであっという間に終わっちゃった」とぼやくようになった。話し方は明るく、深刻な話ではないということが分かる。

毒親さながら「あんたたちのせいで私の人生台無しになったわよ!」と怒りの刃をこちらに向けることはなく、自分の中で消化するように、だた、ぼやくのだ。母のぼやきを聞くたびに、胸の中がずしんと重くなる。

「子供の存在が母の人生を味気ないものにしてしまったのではないか」という、自責の念。
「子供のせいにしないで、もっと自分の人生を楽しめばいいのに!」という沸々とした怒り。

2つの感情がぐちゃぐちゃになった。
やがて「子供を持つことよりも、自分のやりたいことを優先したい」という気持ちが強くなり、実家を出て母から遠いところへ行こうとした。母は私にとって1番近くて遠い存在になった。

私が母親になる

そんな私だが、30代後半に突入した頃、母になる。相変わらず自分のことだけを優先して生きてきた30代前半、ふと気がつけば子供を産めるタイムリミットが近づいていた。

結婚して、夫婦2人の生活になっても好き勝手できて楽しかったが、トレンドを追うことや旅行であちこち飛び回ることにも少々飽きてきて、何か変化が欲しかった。今後の人生で子供がいない生活と、いる生活を比べてみた。

この手でわが子を抱いたらどんな感情になるだろう。
想像ができないほど騒がしくなると思うけど、もしチャンスがあれば自分の時間やパワーを誰かのために使ってみたい。私、母になってみたい……かも。

あんなに自分のことを優先していた私が、心変わりするタイミングだった。そして本当に幸運にもお腹に命が宿った。それは小さくても炎のように熱く、確実に生きていた。体の中で、2つの心臓が動いていることが不思議だった。

妊娠9か月頃にマタニティフォトを撮りました

この世界に息子を産み落とした後は、予想を上回るほど目まぐるしく過ぎていった。

どう過ごしたか、細かいことが思い出せない。毎日小さな体から溢れだす、巨大なパワーに圧倒されていた。出産前は丁寧に整えていた髪や肌はボロボロ、ミルクや離乳食のカスだらけになるから安い服しか着なくなった。いつ寝たのか食べたのか分からず、流行りにも疎くなっていた。

出産前は時間とお金をすべて自分に使っていたのに、息子を産んでからは持っているパワーをありったけ子育てに使った。

少しだけお母さんのことが分かったかもしれない

そんな日々を過ごすうちに「母もこんな感じで必死に子育てしていたのかな」と思うようになる。

若き日の子育て中の母と、今の自分が重なった。私は母からずっと遠くに行こうとしていたが、遠回りをして母に近づいていた。

母が私の子供を抱きしめているとき、この人は私をこんなふうに抱いていたのかなと思う。

「私1人で3人も育てちゃったわよ!」1人の子供を育てるだけで、ひーひー言っている私を横目に、母は少し誇らしそうにしている。あ、初めて見た母の顔。

「子育ては楽しいわよ、また別の世界が見えるのよ」これまた初めて知る母の本音。これまで子育てで疲弊していた母しか見ていなかったが、子供の存在が母の人生を楽しいものにしていたのか。知らなかった。

1人の人間を社会に送り出すまでに、親は大変な労力を要する。自分も泣きたくなるような夜泣きに心身が疲弊することもあれば、突然できるようになった寝返りに涙が出るほど感動する。
ジェットコースターのように感情の起伏が激しく、愛しい日々。

「子育ては楽しい、大変、楽しい」誰かが言っていた言葉だ。あぁ、母の人生に楽しいことがあってよかった。

どんどん大きくなる息子

次こそは

母の日や誕生日。それは日々の感謝を伝えるイベント。

完全にルーティンワークと化していたが、恥ずかしがってる場合じゃない。別に何を送ってもいいじゃないか。それよりも、少しだけ母のことを理解できた今、ちゃんと言葉にして感謝を伝えないと。

「いつもありがとう。子育ての酸いも甘いも知ることになって、今更だけどお母さんのことが少し分かったかもしれない。これまでたくさんのパワーを使って私たちのことを育ててくれてありがとう。お母さんが守ってくれたから、私は外へ出ていくことができたよ。私たちに使った時間を今度は自分のために使ってね。」


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