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【高野麗子ってどんな人?1】白髪だらけの小学生、母の教育虐待。
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SNSからの販売総数6000件超えコンサルの、 高野麗子です。
この記事は、私がどんな人生を歩んできたのかを、
しっかり書いてみるね^^
(ちなみに対象はまぁまぁ暗いので、バカ明るいパーティー写真で↑ごまかすワタス。。笑)
わたしは、1月1日生まれ。現在42歳。
茨城県つくば市の、大仏のふもとで生まれた私は、
とにかく、超引っ込み思案の性格。
家に人が来て、
ご挨拶しなさいと言われると、
ママのスカートの下に隠れてしまうような、
人見知りさんでした。
小学3年生から、関西芦屋市に引っ越して、
地域の大規模マンモス塾に初めて連れて行かれ。
最初に入ったときの成績は、すごくよく、15クラスくらいある中の、
上から2番目のクラス。
なのに、なぜかひたすら、
「どんどん下のクラスに下がっていく」、
と言う生徒でした。
(多分、この頃から強制されたり、緊張したり。縛られるのが苦手だったのかもしれない。。。)
巨大マンモス塾では、夏休み冬休みは、
昼ご飯と夜ご飯、
1日2つのお弁当を持って、1日中お勉強。
額には、「常在戦場」と書かれたはちまき。
「絶対合格!」とみんなで叫ぶような、
非常にハードな塾でした。
対して、べつに対してお勉強の好きでなかった私は、
そんな塾がだんだんストレスに。
そのため、成績もどんどん落ちていくので、
お金をかけてもかけても、成績が落ちていく我が子に、
母が、どんどん辛く当たるようになっていきました。
全国模試の結果が悪いと、家から出されて、
寒くても外で反省。
出来の悪かった全国模試の結果が届いたり、
塾の苦手な授業をサボったことがバレた時に、
階段をドカドカ降りてくる母の、怒った足音が怖くて、
ビクビクしながら、布団の中で怯えていました。
国語以外の勉強はやってもできなくて、
友達とも遊べなくて、
「あんたにはこんなにお金をかけているのに!
どうしてできないのよ!もっとやらないからだ!」
とヒステリックに怒鳴る母が怖くて、
終わるまで寝るなと言われ、
成績が悪いと発狂して、
再現できないようなとんでもない言葉で怒鳴り散らす母。
今で言う、教育虐待のような日々。
ストレスで、白髪だらけになった私は、
電車や、送り迎えの車で
吐いていましたが、
それでも、絶対的にブランド学校、
進学校に行くことこそ、
子供のためと信じていた母の前で、
塾を辞めたい、と口に出すことは、
そうすることで身に及ぶ被害を想像すると危険すぎて、
一切できませんでした。
ただ、芦屋市という、
ブランドバリューの強い場所に住んで、
娘を有名中学に入れたいという、母のプライドや価値観に合わせて生きるのがとりあえず自分が無事に生きる方法なのだ、
と、感じていましたし、
母の夢を叶えなければ、
この人はもしかしたら、生きる支えをなくして、
死んでしまうのではないか?
と思っていました。
母に生きていて欲しい私は、
母の願いを叶えるべく、一生懸命勉強するのですが、
結局、中学受験は希望の学校は全て落ちました。
そのため、中学校は普通の公立に行ったのですが、
中学の頃から、母が自○未遂を繰り返すようになりました。
家に帰ると、大量服薬の薬のシートが地面に散らばっていて、
その近くに、母が転がっていました。
なぜか。。。