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【高野麗子ってどんな人?3】不登校大学生→ハジケリスト専門学生へ
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SNSからの販売総数6000件超えコンサルの、 高野麗子です。
この記事は、こちらの続きだよ(はあと)
大学合格率は、E判定だらけだったのに、
なぜか。。謎に早稲田大学に、合格!
あまりに奇跡すぎて、本当にびっくりしたし、
うちは祖母もお父さんも早稲田だから、なんというか、
目に見えない力が、おじいちゃんのご加護でもあったのかと思った。
そして、そのまま通い始めたんだけど、
これが本当に全くついていけず。。。笑
ガチモンの頭のいい人たちって、こんな感じなんだ、
とカルチャーショックを受けた。
まず、選択授業の中国語が意味不明。
でも、同じ教室のみんなは理解している感じで、
むしろ、ついていっている。
なんでや。
。。。
。。。
なんでと言っても、頭の出来の違い、ないしやる気の違いだ。
だけど、みんなよりは間違いなく頭の出来は良くなく。
かつやる気のない私は、かつてのマンモス塾時代のように、
どんどん脱落して、
普通に出席日数が足りなくなった。
出席しないで何をしてたかと言うと、
家から学校に行くふりをして、渋谷に行ってぼーっとしてる日々。
さぼってるのがばれるとまずいから、家には帰れないし、
大学にも行きたくないから、行くところがない。
同じスクランブル交差点にあったTSUTAYAの上のほうの窓から、
下で待ち合わせしているであろう人々を見て、
「友達とか、待ち合わせする人、みんないるんだな。
いいな。。。」
って思ってた。
塾通いや引っ越しばかりで、大学にも馴染めず、
長い友達が全然できなかった私は、この頃本当に孤独だった。
あまりに孤独すぎて、出会い系であった男子で、寂しさを埋めていた。
当時の出会い系は今ほど市民権がなく、
それを使っていることさえも、誰にも言えなかった。
で、ある日、
私がこんなに誰とも繋がれないのは、
自分の人生を生きてないから。
だから、気が合う人に会えないし、誰とも、ちゃんと繋がれない。
私はこのまま何の才能もなく、誰にも認められず、誰とも繋がれず生きていくのかな。
もし自分が好きなことで、少しでも才能が花開いて、
誰かに認められたら。
そしたら少なくとも、今よりは孤独じゃないんじゃないか。
人生に怯えなくていいんじゃないか?
そう思った私は、
ある日、大学の奥の事務室に行って、勝手に大学を中退した。
もちろん親に言わずに大学を勝手に辞めたのだけど、
謎の勝利モードの私。
だって初めて自分で選んで、人生を勝ち取ったんだもん。
それが震えるほど嬉しかった。
実際には何もまだ始まってないんだけど、辞められたことが嬉しかった。
こっそり手に入れた専門学校のパンフレット。
文化服装学院、桑沢デザイン研究所。。。
私が選んだ専門学校は、ファッションやヘアメイクに強い学校だった。
その中で1番自由で生き生きとしたパンフレットだった、
バンタンデザイン研究所を選択。
生徒さん達が、どの学校のパンフレットよりも、
生き生きして輝いて見えた。
死んだように誰かの人生を生きてきた私には、
自分の道を選択して夢に向かう彼らが、すごくまぶしく見えた。
もちろん、入学金を自分で払うことはできなくて、
親に勝手に中退したことを、正直に言った。
360度回転する勢いで親はひっくり返ってたけど。
「早稲田中退だったら小室哲哉とおんなじだから。
まぁまぁかっこいいからオッケー」
と言うよくわからない理由で許してもらった。
だがしかし、この後私はある理由で、
キャバ嬢になる。
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