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体外受精のための採卵

 前回までに、これから不妊治療をするかもしれない方や、不妊治療について全く知らない、という方にもわかりやすいように不妊治療とはどんなことをするのか?を簡単にまとめました。甥っ子日記と不妊治療日記、両方書いているので、両方読むよ!という方はフォローしていただけると嬉しいし、どちらか一つで結構です!という方はマガジンで選択してくださいね。

ここからは具体的に私の体験記を書いていきたいと思います。どんな治療でどんな生活になって、体や心はどんな状態だったのかを少しずつ書いていきます。現在、治療真っただ中です!という方には共感してもらえるかもしれないし、もしかたしらた不安を与えてしまう場合もあるかもしれません。ただ一つ言えるのは、私は不妊治療において劣等生です。あれこれ4年続けて結果がでていない。周りはどんどんママになりっていきました。ただ、もしかすると人より多くの検査や、最新の治療を試していると言えるかもしれないので、参考になれば何よりです。そして孤独な不妊治療の真っただ中の方には私だけじゃないんだという癒しになれば、赤裸々にここに綴る意味があると思っています。

タイミング法や人工授精については前回までの記事を参考にしてください。ここからは体外(顕微)受精の治療の体験談からスタートします。

採卵準備

 始めて採卵したのは2017年9月。もう3年前になります。当時36歳。人工授精からステップアップして、気合も入っていたし、体外受精をすれば妊娠できると信じて、とても前向きに治療をスタートしました。まずは術前検査などでホルモンの数値や心電図などの検査を受け、問題なければ採卵に向けての治療がスタートします。この術前検査だけで3万円くらいかかります。

採卵にあたって必要な薬はまず点鼻薬。採卵する前に、勝手に排卵してしまうのを防ぐ薬です。時間を守って12時間ごとに鼻からシューッと吸い込まなければなりません。私は朝9時と、夜9時の12時間ごとに使うようにしました。毎日、使い忘れがないよう携帯のアラームを設定。夜9時ともなれば、友人と外食している事もしばしば。時間になったら、ポーチに入れておいた点鼻薬を持ってトイレに行き、使用します。

ある日、夫とライブに行った時の事です。21時に携帯アラームがお知らせしてくれたのですが、その日に限って点鼻薬を自宅に忘れてきてしまいました。まだライブの途中。今から盛り上がってくる一番いいところ。ライブは22時近くまであります。それから帰宅すれば早くて22:30。1時間半点鼻薬の使用が遅くれてしまうのが怖かったので、夫をライブ会場に残し、一人で先に帰宅しました。帰り道は悔しいやら、ライブ楽しんできていいよ、と自分で言ったものの、一緒に帰ると言わなかった夫に腹が立つやらで、なんでこんな思いをしなくてはならいのか、と帰り道に涙がでてきました。今振り返ると「よ~し!!体外受精頑張るぞ~!ここで頑張れば、赤ちゃんが出来るんだから!」と意気込み過ぎていたのだと思います。

 そして採卵において、重要なのが注射です。この注射によって、通常は1つしか育たないはずの卵子を、一度にたくさん採取できるよう育てていきます。毎日、自己注射を行わねばなりません。初回は病院で看護婦さんが丁寧に使い方を説明してくれるので、説明に沿って自分で注射器をセットして打つことになります。自己注射と言われていたので簡易的なものかと思っていたら、本格的な注射です。小さなガラスの容器に入った溶解液を、太目の注射針を本体にセットし、吸い取ります。次に、粉薬の入ったガラス瓶にその溶解液を流し込み、粉薬を溶かします。溶けたら、再び、注射器で吸い取ります。次に注射針を細いタイプのものにつけかえます。お腹を消毒し、片手でしっかりとお腹の肉を摘み、注射を打ちます。針を肌に刺そうとした瞬間の恐ろしさ・・・。思いっ切って刺したものの、手の力が抜けてしまい、注射器の内筒を押すことが出来ません。怖がっていても、いつまでも終わらないので、勇気を振り絞って注入します。かなり痛いです。終わったら、ホッとしましたが、翌日から一人でその作業をやらなくてはならない恐怖も湧き上がってきました。翌日からは、看護婦さんに教えてもらった手順を思い出しながら、およそ10日間、毎日自分で打ちます。

病院にも、血液検査とエコーで卵子の成長具合を見るために、週に2回程度通わなくてはなりません。通院の日は病院で看護婦さんが注射を打ってくれますが、慣れてくると加減できる分、自分で打つ方が痛くなくなってきます。血液検査の為の採血もされるので、一日に二度も針を身体にさすのはストレスでした。

日に日に卵子の成長と共に、下っ腹が張ってきました。採卵前の最後の検診では、およそ20個の卵子の数を確認。1個あたり2センチほどの卵胞ですから、20個ともなれば、単純に計算して合計40センチもの卵胞が左右の卵巣にパンパンに詰まっていることになります。たくさん卵が育つのはいい事ですが、お腹の張りと、身体のだるさ、個人差はあるようですが、私は吐き気もあったので最後の数日はかなり体力的にもしんどかったです。

タイミングの悪いことに採卵前日に、仕事で新しい番組の為のポスター撮影がありました。立ちポーズを取ったら、カメラマンから「お腹にちょっと力入れてもらえますか?」と突っ込みが。お腹が出ているのはわかっているですが、仕方がないのです。事情を説明するわけにもいかず、変な空気が流れてしまいました。また街で久しぶりにばったり会った後輩に、「あ、玲香さん、お子さんですか?」と聞かれました。妊娠でお腹が膨らんでいるならいいのですが、不妊治療で張っているとは言えず、今振り返っても採卵の時期は辛かったです。


採卵当日

 採卵の前日は21時以降は絶食、絶飲です。朝、目覚めても水も飲めないまま、9時に病院へ。夫の精子も朝から採取してもらい容器を持参します。まずは、最終の子宮の状態をエコーで確認し、消毒を行います。その日は4人の方が採卵予定でした。順番になったら、処置室へ案内され、麻酔スタートです。麻酔科医のゆっくり呼吸してください、という言葉の後、3呼吸目には意識はなくなりました。

看護婦さんに「終わりましたよ~」と起こされて、意識が朦朧としながら、ベッドへ運ばれますが、かなり下腹が痛みます。肩とおしりに痛み止めの注射をうってくれたのですが、それがかなり痛い。そのまま意識が遠のき、点滴をされたまま休みました。次に看護婦さんに「トイレに行ってみましょう」と起こされましたが、まだ麻酔が抜けてないようで、ふらふらして歩けません。点滴を追加してもらい、再び休みます。うっすらした意識の中で、私よりあとに採卵した方が「ありがとうございました~」と元気な声で次々に帰っていくのがわかります。私は採卵の数が多かったので、麻酔の時間も長く、また何度も針も卵巣に刺されているわけですから、身体への負担も大きかったようです。4時間以上、病院で休ませてもらいましたが、ふらつきと気分の悪さがなかなか落ち着きません。

本当は家族に迎えに来てもらってください、と事前にアナウンスされていたのですが、当時は母にも治療の事は話していなかったし、主人は仕事で来られません。一人でタクシーで帰れば大丈夫だろう、と高を括っていたのです。ところが自力歩行も出来ず、トイレまで人生初の車椅子を使わねばならない状態で、やむを得ず、友人に車で迎えに来てもらいました。前の番から絶食だったにも関わらず、吐き気が酷く何も食べられないまま、夜まで眠ってしまいました。

実はその日の夜、ラジオの生放送の仕事が入っていました。まさか自分がそんな状態になるとは思っていなかったのです。お腹の痛みと気分の悪さをおして、タクシーでスタジオまで向かいます。スタッフさんにも顔色が悪いと驚かれましたが、「ちょっと調子悪くて、すみません」と本番前まで、ソファで休ませてもらい、なんとか生放送を乗り切りました。翌日から2日間はあらかじめ、休みをとっていました。翌日もまだ腹痛があり、鎮痛剤の座薬を使って、一日休んでいました。3日目になると、随分と回復したものの、身体には負担がかかっているはずなので、その日までなるべく安静に過ごしました。

採卵はほとんどの人が、サクッと終わり、通常通りの生活が出来るようなので安心してください。私はかなりレアケース!しかし、この日の辛さがトラウマとなり、もう二度と採卵はしたくないという気持ちになりました。


採卵後の受精結果


 採卵後4日目は病院です。子宮の状態をエコーで確認し、採卵後、すぐに受精させた卵の結果を聞きます。結局、私は21個採卵できました。これはかなり沢山採卵できたことになります。そのうち、7つを体外受精。残りの14を顕微授精に回しました。夫との体質の相性の悪さから、全て体外受精に回した場合、全滅するリスクを回避するために顕微授精を多めにしたのです。(ここが夫婦の体質的相性が悪い場合、人工授精が効果的でない可能性があるというポイントです。精子が卵子の殻を破る時に少しだけ血液成分が出て、それに精子が触れると元気がなくなってしまうケースが考えられるそう。それが体外受精で起こった場合、全滅してしまう可能性があるというのです。)

21個のうち、2日目時点で状態がよかった卵は4つ。その4つはすぐに冷凍されていました。残りは全て胚盤胞にかけるとのこと。いくつ、胚盤胞まで上手く分割が進んでくれるかがカギになります。胚盤胞とは受精5日目の卵の事。通常、自然妊娠でも胚まで分割を繰り返したあとに、着床しますので、胚盤胞までいった卵は、移植したあとは着床を待つのみとなります。つまり妊娠率が高くなる卵です。ここまで来たら、あとは卵を戻すだけなので、私たち夫婦の子供になる可能性のある受精卵が一つでも多くできる事を願って病院をあとにすることになります。

この日のうちに、おおよその移植日を決めます。私は採卵数が多く、体へのダメージが大きかったので、1か月間は体を休めて、移植は1か月後から開始することになりました。しばしの休息。この期間には一気に気持ちが楽になりました。全てから解放された感覚は本当に久しぶりです。

ちなみにこの時、塩分を控えて生活するように指導されました。私は問題なかったのですが、同じ時期に治療していた友人は腹水が溜まってしまい、妊娠5.6か月くらいの妊婦さんくらいお腹が腫れ、入院することに・・・。それだけ体に負担がかかる治療だと言えるかもしれません。

結局、私の卵21個のうち、受精卵になったのは13個。質が良いとされたものは2個、普通が7個、あまり良くないものが4個という内訳。良くないものは2個ずつ移植するので、私には11回の移植のチャンスが出来たことになります。当時はこれだけあったら、第二子までいけるんじゃないか!と喜びました。が、結果・・・全滅です。4年の間に13個の卵を11回移植して、全て失敗。1個の採卵で妊娠する人だっているのに。。。この話はまた今度。

採卵や受精は、個人差があります。採卵しても卵が一つも採れないという方もいます。それでも何度も採卵に挑戦する勇気ある女性がたくさんいます。まだ卵は沢山採れるのに経済的な理由で諦める方もいます。心が折れて続けられない人もいます。諦めがつかず、ずっと頑張る人もいます。それが高度不妊治療。ゴールが見えず、孤独な闘いです。

夫婦の年齢によって染色体の異常が増えてくるので、受精卵になる確率や染色体異常のない良質な卵は減ってきます。少しでも治療に取り組むのは早い方がいいと言われる所以です。これから妊娠や出産を望むすべての人に、この現実や知識を平等に知っておいて欲しいと願っています。

次回は、1回目の胚移植からの私の体験談を書いていきます。

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山口玲香
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