分かること、分からないこと
東京都美術館にて展示されている
フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」を観た。
この絵には、もともと壁の額のキューピッドが描かれていて、塗りつぶされていることが、1979年のX線調査で分かっていた。
しかし、そのキューピッドはフェルメール自身が消したと考えられていた。
新たな調査で画料の年代から、フェルメールの死後、何者かにより消されていたということが分かったのは2019年。
それから塗りつぶされる前に修復される作業が始まった。画料が取り除かれ、キューピッドがいる状態の絵を、今、見ることができる。
誰が、何の目的で、塗りつぶしたのかは、まだ分からない。
X線調査や、画料の年代を調べる方法がなかったら、この絵の中にキューピッドが描かれて塗りつぶされていることは分からなかったはず。
技術の進展で、分からなかったことが分かるようになるのは、意義のあることだと思う。
しかし、すべてにおいて、分からないことが分かるようになるのがよいとは限らず、分からないままでよかったこともあるんじゃないか。
キューピッドが塗りつぶされたままの絵のほうが、私は好きだ。
もちろん、作者の意図を無視して、他者が作品に手を加えることはいけないことだと思うけど。