アサルトブレイクとムラマサに関して
皆さまどうも、相馬怜治です。
はじめましての方に簡単に自己紹介をさせていただきます。
ヲタ芸という曲に合わせて体を動かす動作というジャンルにて、『ドラグーンスピア』などをはじめいくつかの技(振付?)を開発(考案?)させていただたものです。
今回お話ししたいのは私が開発した技のひとつにアサルトブレイクというものがあります。それがサイリウムダンスと呼ばれるいわゆる手に持って光る棒を使い曲に合わせて動いていく流派(ジャンル)においてムラマサという呼称で伝わっている経緯についてお話ししたいと思います。
上記までは本当に何も知らない人に向けたふんわりした概要説明となりましたが、私の拙い文章力ですとあまりにも説明が難しいと判断しましたので以降の説明はある程度理解のある人に向けた文章になりますことを予めご了承ください。説明するにあたり文章も砕けた感じになります、なにとぞご容赦ください。
今回の議題をするにいたった経緯と問題について
まずこの話をするにあたった経緯をお話しますと、もともとこの世界にはじーたんさんが開発したムラマサがあるわけですが。それはいわゆる素手で打つジャンルのほうには広まっていました。ただ自分が作ったアサルトブレイクが最終的にムラマサとしてリウム界隈に広まっているのが現実です。それに関しては自分は容認していましたし本家ムラマサ製作者本人からも今も特に文句は言われてない(言ってないだけで本心はどう思ってるかは定かではないが、今度聞いてみてもいいかもしれない。)のでスルーしてきました。
自分が開発した2009年や全盛期であった2011年までは両界隈はわりと独立して存在してることが多くて両者の交流というのは少なかったのですがここ最近復帰して多くの方々と交流してきた結果、いろいろXでのポストもヲタ芸関連を多く目にするようになりましたところ、両者の垣根も崩れてどちらの流派も使いこなせる方々が増えてきたと痛感しました。
その中でリウム系ムラマサが素手で打つの方のムラマサと違うこと、またアサルトブレイクがなんでリウム界隈でムラマサって呼ばれてるの?みたいな意見を耳にすることが増えました。
これが今回の議題であり私、相馬怜治個人の視点ではありますが語れる範囲で語っていきたいと思います。
アサルトブレイク誕生
アサルトブレイクが誕生したのは2009年の7月、おおよそドラグーンスピア誕生の一カ月前になります。
これより恐らく半年ほど前にいわゆる原型の本家ムラマサを覚えようとしてもよくわからなかった時代、人の形だけオリジナル改変のムラマサが流行っていたころになります。自分も人のを見ても何も覚えられないので自分でそれっぽく作った最初の型がソウマサ、後にアストロブレイクともリウム界隈では呼ばれることになったものを作りました。ただこれは自分から見てもあまりにも手数が多くて使いにくいなという印象がありまして。
そこで新たに動きを見直して自分のやりやすいように改変したムラマサを作ろうとして出来上がったものがアサルトブレイクとなります。ただそのころにはまだ名前がありませんでした。
名前を付けたのはドラグーンスピア誕生よりも後、そしてサイリウムダンスが世に台頭してからの話となります。それについては次の項目で説明することになると思います。
ほぼ同時期にライジングセイバーというのを作っていますがそれはまた別のお話
花火動画投稿、そしてサイリウムダンス誕生へ
そして運命の2009年7月20日 まだニコニコ動画が我々にとってメインコンテンツの時代
「茅原実里をBGMに花火でヲタ芸を打ってみたらしいよ」という動画を投稿しました。
これが結果的にバズりこの中で左にいるのが私で、そしてアサルトブレイクを使っていますね。
そしてそれに感化された友人が「UOが余ったのでヲタ芸を打ってみた」という動画を上げることになります。
結果的にこちらもバズりました。
そしてその上記2人の投稿動画に着想を得て投稿し当時人気を博したギニュ~特戦隊こと後の「GinyuforcE」が隆盛されていきました。
彼らの当初上げたヲタ芸動画の中で使われていたものがアサルトブレイクの動きでした。そもそも自分は他人にアサルトブレイクの使い方は教えていませんし当時は人の改変ムラマサはその人のものという風潮があったため誰かに広めたわけでもないとは思われます。
あとUOを折るタイミングややり方が友人の動画のやりかたにあまりにもそっくりだったため当時のギニュ~特戦隊が資料のソースを動画をたよりにしていたのであればの当時ヲタ芸を動画に上げるなんて珍しいことは我々くらいしかやっていなかったのでこの動きは相馬界隈の上げた動画をもとにヲタ芸をしていることになるわけです。
そして結果的に彼らが有名になったのもあって当時ムラマサの名前は知っているが詳細は知らない人が多い時代でしたので、彼らが使うアサルトブレイクの動きがムラマサの動きだと多くの方が理解してしまったのもあって。今日までムラマサという形でサイリウムダンスを中心とした人々に伝わっていったわけです。
ただ後年になって見返すとサイリウムの軌道に相性がいいなと思い、広めていただいたこと自体にはすごく感謝をしています。
上記のことをふまえ、私相馬怜治がサイリウムダンスの生みの親であると宣言している理由にもなります。きっかけを世にはなった形ではありますが。
アサルトブレイク命名と撤回活動
上記の問題をふまえ、そののち本家ムラマサのじーたんさんともお近づきになったこともあって、本家より先に自分の形をひろめてしまったことを大変申し訳なく思い、あとあまりにも直線的な動きすぎてあれはもはやムラマサではないよという意味を込めてあくまで相馬式ムラマサのひとつ「アサルトブレイク」ですと名づけることに至りました。
そして相馬怜治の作る技はだいたい英単語二つで構成し厨二っぽいネーミングにすることで発祥をわかりやすくする狙いもありました。
そうやってこれはムラマサじゃなくてアサルトブレイクなんですと言い続けてきましたが、いかんせん自分はネットを有効活用できないしインフルエンサーでもないのでうまく世に広まることはなく、いわゆる自分の立ち位置的に近かった素手でやる界隈には認知していただけましたがそもそもその界隈は本家のほうを使う人が圧倒的に多いので広めたところでまず使わないということもありまして長いこと本家とアサルトは道をそれぞれに歩んでしまいました。
近年とまとめ
そして近年になりまして両流派ともに使い分けたり両方共を知る若い人たちが現役になってくれたおかげで、これはどういうことなんだろうという話が度々でてくるようになりましたのでこれを機にお話ししようと思った次第です。
簡潔に結論を言いますと結果的に相馬怜治が自分式改変ムラマサをリウムダンス系に先に広めてしまったのでアサルトブレイクと命名して別技ですと撤回しようとしたけどかえって世の中を混乱させる結果となりまして今日に至るというわけです。
尚、私は未だに本家ムラマサはまともにできません。
それもこれも自分は人の動きを模倣できない人間だからですけど・・・
なのでドラグーンスピア作ったりしてるわけですし
ですので今後自分のアサルトブレイクに関しては呼称を統一してほしいとは内心思いますが難しいと思います。今後本家様に確認を取って現状維持でも良いのであれば好きに呼称してもらって構いません。
その結果については今後またXなどでお知らせします。
ただこのアサルトブレイクの動きがあるからこそドラグーンスピアが生まれてきたので、せめてドラグーンスピアの素体になった相馬怜治の改変ムラマサがアサルトブレイクですと覚えていただければそれで幸いです。
長々となりましたがここまで読んでくださった皆様、大変ありがとうございました。
今後とも相馬式の技を末永く使っていただければ開発者冥利に尽きます。
皆さまの今後のヲタ芸ライフが末永く楽しいものでありますように祈りながら締めの挨拶とさせていただきます。
2024年10月20日
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