国際法提要 遠藤源六 1933年(昭和8年)

国際法提要 遠藤源六 清水書店 一九一六年初版 一九三三年改訂増補版二十六刷

遠藤源六 法学博士 行政裁判所評定官

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戦數説
茲ニ一言附加スヘキモノハ獨逸學者ノ戦數説ナリ戦數(Kriegsraeson)トハ戦規即チ普通ノ戦争法規ニ対スル語ニシテ戦數説ノ要旨ハ戦争法規ニ拘泥スルトキハ戦争ノ目的ヲ達スルコト能ハサルカ又ハ緊急ノ危険ヲ免ルルコト能ハサル場合ニハ戦争法規ニ據ラス掠奪、燒燬、一般的破壊等ノ如キ最モ野蛮的ナル行動ヲモ爲スコトヲ得ト云フニ在リ是レ目的ハ手段ヲ正當ニスト云フ俚諺ノ極端ナル適用ナリ世界戦争ニ於テ獨逸カ縷〃戦争法規違反ノ行動ヲ爲セルハ戦數ノ観念ニ基クモノニシテ偶然ニ非スト云フ者アリ或ハ然ラン此ノ戦數説ノ當否ニ付テハ異論アリ而シテ獨逸學者ヲ除キテハ前示ノ如キ廣汎ナル意義ノ戦數説ハ殆ト一切ノ違反行爲ヲ許容セントスルモノニシタ不當ナリト非難スル者多シ我輩ハ戦争法規ハ一般的ニ叉ハ多數國間ニ於テ之ヲ遵守スルモ戦争ノ目的ヲ達スルニ支障ナキモノト認メテ制定セラレタル規則ナルカ故ニ之ヲ關係国中
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ノ一國カ自己任意ノ判断ニ基キ遵守セサルコトヲ許サルヘキモノニ非スト信ス何トナレハ若シ之ヲ許スニ於テハ該規則ハ最早強制的性質ヲ失ヒ法規ト云フコトヲ得サルニ至ルヘケレバナリ故ニ戦數説ハ採用スルコトヲ得サルモノトス但シ報仇及自衛權ノ發動ト認ムヘキ場合ハ事實戦争法規違反ノ行動ヲ爲スモ敢テ非難スヘキモノニ非サルコト勿論ナリ

 ここに一言附加すべきものはドイツ学者の戦数説なり。
 戦数(Kriegsraeson)とは戦規即ち普通の戦争法規に対する語にして、戦数説の要旨は、戦争法規に拘泥するときは戦争の目的を達すること能はざるか、又は緊急の危険を免るること能はざる場合には、戦争法規に拠らず掠奪、焼毀、一般的破壊等の如き最も野蛮的なる行動をも為すことを得と云うに在り。
 是れ目的は手段を正當にすと云う俚諺の極端なる適用なり。
 世界戦争に於て、獨逸が縷々戦争法規違反の行動を為せるは、戦数の観念に基くものにして偶然に非ずと言う者あり、或は然らん。
 此の戦数説の當否に付ては、異論あり。而してドイツ学者を除きては前示の如き広汎なる意義の戦数説は、殆ど一切の違反行為を許容するものであり不当であると非難する者が多い。
 吾輩は、戦争法規は、一般的に又は多数国間において、これを遵守するも戦争の目的を達するに支障なきものと認めて制定せられたる規則なるが故に、之を關係国中の一國が、自己任意の判断に基き遵守せざることを許さるべきものに非ずと信ず。
 何となれば、若し之を許すに於ては、該規則は最早強制的性質を失い、法規と云うことを得ざるに至るべければなり。故に戦数説は、採用することを得ざるものとす。
 但し、報仇及自衛權の發動と認むべき場合は、事実戦争法規違反の行動を為すも敢て非難すべきものに非ざること勿論なり。

 茲に一言付加すべきものはドイツ学者の戦数説である。
 戦数(Kriegsraeson)とは、戦規、即ち普通の戦争法規に対する語で、戦数説の要旨は戦争法規に拘泥すると、戦争の目的を達することができないか、又は緊急の危険を免れることができない場合には戦争法規に拠らず掠奪、放火、一般的破壊等のような最も野蛮的な行動をもすることをができるというに点にある。これは目的は手段を正当化するという俚諺の極端な適用である。
 第一次世界大戦に於てドイツが度々戦争法規違反の行動をしたのは戦数の観念に基くものであって偶然ではないという者があるが、或はそうかもしれない。
 この戦数説の当否に付いては異論がある。しかしドイツ学者を除いては前に書いたような広い意味での戦数説は殆ど一切の違反行為を許容するものであり不当であると非難する者が多い。
 私は戦争法規は一般的に又は多数国間においてこれを遵守しても戦争の目的を達するに支障なきものと認めて制定せられたる規則なるが故に之を關係国中の一國が自己任意の判断に基き遵守せざることを許さるべきものに非ずと信ず何となれば若し之を許すに於ては該規則は最早強制的性質を失い法規と云うことを得さるに至るべければなり故に戦数説は採用することを得ざるもとす但し報仇及自衛權の發動と認むべき場合は事實戦争法規違反の行動を為すも敢て非難すべきものに非ざること勿論なり