開戦ニ関スル条約
開戦ニ関スル条約
署 名:1907年10月18日
効力発生:1910年 1月26日
日 本:1912年 2月11日
1911年11月 6日批准、12月13日批准書寄託、
1912年 1月13日交付・条約第3号
当事国数:44か国(含:中華民国〔台湾〕)
独逸皇帝普魯西国皇帝陛下(以下締約国元首名略)ハ、平和関係ノ安固ヲ期スル為、戦争ハ予告ナクシテ之ヲ開始セサルヲ必要トスルコト、及戦争状態ハ遅滞ナク之ヲ中立国ニ通告スルヲ必要トスルコトヲ考慮シ、之カ為条約ヲ締結セムコトヲ希望シ、各左ノ全権委員ヲ任命セリ。
(全権委員名略)
因テ各全権委員ハ、其ノ良好妥当ナリト認メラレタル委任状ヲ寄託シタル後、左ノ条項ヲ協定セリ。
第1条(宣戦)締約国ハ、理由ヲ附シタル開戦宣言ノ形式又ハ条件附開戦宣言ヲ含ム最 後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告ナクシテ、其ノ相互間ニ、戦争ヲ開始スヘカラサルコトヲ承認ス。
第2条(戦争状態の通告)戦争状態ハ遅滞ナク中立国ニ通告スヘク、通告受領ノ後ニ非サレハ、該国ニ対シ其ノ効果ヲ生セサルモノトス。該通告ハ、電報ヲ以テ之ヲ為スコトヲ得。但シ、中立国カ実際戦争状態ヲシリタルコト確実ナルトキハ、該中立国ハ、通告ノ欠缺ヲ主張スルコトヲ得ス。
第3条(拘束力)本条約第1条ハ、締約国中ノ二国又ハ数国間ノ戦争ノ場合ニ効力ヲ有スルモノトス。
第2条ハ、締約国タル一交戦国ト均シク締約国タル諸中立国間ノ関係ニ付拘束力ヲ有ス。
第4条(批准)本条約ハ、成ルヘク速ニ批准スヘシ。
批准書ハ、海牙ニ寄託ス。
第1回ノ批准書寄託ハ、之ニ加リタル諸国ノ代表者及和蘭国外務大臣ノ署名シタル調書ヲ以テ之ヲ為ス。
爾後ノ批准書寄託ニ関スル調書、前項ニ掲ケタル通告書及和蘭国政府ニ宛テ、且批准書ヲ添附シタル通告書ヲ以テ之ヲ為ス。
第1回ノ批准書寄託ニ関スル調書、前項ニ掲ケタル通告書及批准書ノ認証謄本ハ、和蘭国政府ヨリ、外交上ノ手続ヲ以テ、直ニ之ヲ第2回平和会議ニ招請セラレタル諸国及本条約ニ加盟スル他ノ諸国ニ交付スヘシ。前項ニ掲ケタル場合ニ於テハ、和蘭国政府ハ同時ニ通告書ヲ接受シタル日ヲ通知スルモノトス。
第5条(非記名国)記名国ニ非サル諸国ハ、本条約ニ加盟スルコトヲ得。
加盟セムト欲スル国ハ、書面ヲ以テ其ノ意思ヲ和蘭国政府ニ通告シ、且加盟書ヲ送付シ、之ヲ和蘭国政府ノ文庫ニ寄託スヘシ。
和蘭国政府ハ、直ニ通告書及加盟書ノ認証謄本ヲ爾余ノ諸国ニ送付シ、且右加盟書ヲ接受シタル日ヲ通知スヘシ。
第6条(効力の発生)本条約ハ、第1回ノ批准書寄託ニ加リタル諸国ニ対シテハ、其ノ寄託ノ調書ノ日附ヨリ60日ノ後、又其ノ後ニ批准シ又ハ加盟スル諸国ニ対シテハ、和蘭国政府カ右批准又ハ加盟ノ通告ヲ接受シタルトキヨリ60日ノ後ニ、其ノ効力ヲ
生スルモノトス。
第7条(廃棄)締約国中本条約ヲ廃棄セムト欲スルモノアルトキハ、書面ヲ以テ、其ノ旨和蘭国政府ニ通告スヘシ。和蘭国政府ハ、直ニ通告書ノ認証謄本ヲ爾余ノ諸国ニ送付シ、且右通告書ヲ接受シタル日ヲ通知スヘシ。
廃棄ハ、其ノ通告カ和蘭国政府ニ到達シタルトキヨリ1年ノ後、右通告を為シタル国ニ対シテノミ効力ヲ生スルモノトス。
第8条(批准書寄託の帳簿)和蘭国外務省ハ、帳簿ヲ備ヘ置キ、第4条第3項及第4項ニ依リ為シタル批准書寄託ノ日並加盟(第5条第2項)又ハ廃棄(第7条第1項)ノ通告ヲ接受シタル日ヲ記入スルモノトス。
各締約国ハ、右帳簿ヲ閲覧シ、且其ノ認証抄本ヲ請求スルコトヲ得。
右証拠トシテ、各全権委員本条約ニ署名ス。
(全権委員名略)