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御伽の森 ④





——あの少年を、助けなさい





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プロローグ 
神隠し
憂鬱退屈夢うつつ
北極星を見つける旅へ ―――今回はここ

御伽の森Ⅰ
御伽の森Ⅱ
御伽の森Ⅲ
御伽の森Ⅳ
エピローグ

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『北極星を見つける旅へ』


  樹齢千八百年の大木はとても静かに、そして轟轟と音を立てながらそこに立っていた。

  いつもお参りに来る神社の御神木だからいつも見かけていたはずなのに、今日は何か違う。

 僕はこの大木を眺めながら彼と静かに会話してみた。声は聞こえてこないけれど、僕にイメージを送ってくる人。

 千八百年という長い時間生きてきたこの大木の見てきた景色や、この宇宙が過ごしてきた空間を想像してみる。

「なぜ生きていくのか」静かに問うてみる。

  答えが見えそうで、見えない。
  前から思っていたけれど、この木の前に来るととても不思議な気分になる。

 何かを見透かされているような、それでいてとても暖かな気分になるのだ。

「やぁ、よく来たね」

 と話しかけられているような気分になる。

 今までの千年を超える彼の歴史の中で、数えきれないほどの人達が彼に話しかけてきただろう。

  僕もその中の一人なのだ。

  ただ、いつもと違うのは今が夜だということ。
  深夜と言えるほど遅くはないけれど、夜十時は超えている。

 なぜこの綾杉の木まで来なければならなかったのかは分からない。あのイメージがなぜ降りてきたのか、全く想像がつかない。

 しかし、人間の寿命の二十倍は生きているこの御神木なら、何か僕に答えを教えてくれそうだと、そういう甘い考えがあったのかもしれない。

 月明りはあまりなく、とても真っ暗な境内の中で夜風に吹かれながらずっと立ち尽くしていた。

「これからどうしようか」と思いを巡らせた。

「それだけ長い間生きているとどういう気分になるんですか?」と少し声に出して聞いてみた。

  木が返事するわけはないと分かってはいるけれど、神様が答えてくれるかもしれないと思ったからだ。

 なんて立派な大木なのだろう。

  ひとつひとつの枝も頑丈で樹の幹もとても太くて、千八百年を生き抜いてきたこの樹の歴史を思わせる。

 この国では人間の寿命は約八十年。

  最近は医療が発達して百年まで生きることができるようになるといわれているが、この樹はもう既にその約二十倍も生きている。

  この樹は何のために生きているのだろうか。

  人類は文明を発展させることによって、外敵から命を奪われる心配は無くなった。医療の発展によって生きることができる期間も長くなった。

  そして、その代償として、生きることそのものに理由が必要になったのだ。

  でも、木には言葉もなければ生きる理由も最初から無いような気がする。

  羨ましいな、なんて失礼なことを思う。

「僕はどうすればいいんですか、答えてくれませんか。それだけ長い期間生きていれば、僕が知らない答えを知っているのではないですか」

 風が吹いてくる。またこの大木に付いている葉が全て揺れていく。ざざざ、という波の音に近いけれど少し遠い乾いた音だけが響く。

  言い終わった後にふと冷静になって急に恥ずかしくなった。

  木が返事するわけがないだろう。
  本当に何を言っているのだろうか、頭がおかしくなってしまったのかもしれない。

  いくら追い詰められているとはいえ、木に八つ当たりしてどうする。

  自分の人生は自分の手で変えていかなければならない。「もう帰ろうか」と綾杉の木に背を向けた瞬間に、体が勝手に振り返った。

  返事が、くる。

「不老水の祠へ向かえ」
  また、イメージが降りてきた。

   小さな古びた小屋のようなところに、水が湧き出る岩が見えた。苔で祠の大部分が覆われている。ここへ向かえというのだろうか。

  しかし、どこにあるのだろう。降ってきたイメージは恐らく不老水で間違いないのだけれど、僕はここへ行ったことがない。

  でも、行かなければならない。

  そうしていると、ぼんやりと薄く光る火の玉が目線の先に現れた。

  何もなかったところから、ゆっくりと手のひらサイズの暖かな火の玉が現れたのだ。

  僕の目の前をしばらく浮遊したのちに、ふよふよと進み始めた。

  これについて行けということだろうか。

  僕は境内の中をその火の玉が進むとおりに歩いて行った。

  ふと振り返ると綾杉の木は夏の夜風に揺られ、「いってらっしゃい」というように葉を揺らしていた。


  どのぐらい歩いただろうか。

「このまま帰ってくることは出来ないかもしれない」という恐怖が少しずつこみあげてきた。

  そして、ちょうどその恐怖心が薄れ始めたころに、明かりの進行が止まった。

  ふと左を見ると真っ暗闇に包まれた鳥居が目の前に現れた。奥の方には不気味な祠がある。

  イメージで見たものだ。鳥居の真ん中には「不老水大明神」と書いてある。

 どうやら、ここが僕が来るべきところだったらしい。ふと前を見ると、もう僕をここへ連れてきた明かりは消えてなくなっていた。

  もう、後戻りはできない。

  闇が深くて周りがよく見えなかったし、怖くて火の玉に縋りつくように歩いてきたので、帰り方を知らないからどう頑張ろうと引き返せない。

  僕は、火の玉もなくなって真っ暗になった不老水の祠がある敷地の中を、恐る恐る歩いて行った。しかし、小屋の前にバリケードがあり、祠の中に入れなくなっている。

  ただ、目の前に少し発光している綺麗な器があった。「飲め」と言わんばかりに、ちょうど一口分の水が入っている。

  これは、飲むべきなのだろうか。

  嫌な予感がする。神聖な場所に置いてある水だ。人である僕が飲んで良いとは思えない。

  ただ、ここに来なければならなかったということは、ここで何かをしなければならないということだろう。腹を決めて飲むしかない。

  自分はこれからどうなってしまうのか不安になってきたけれど、どのみちこのまま何もしなかったとしてもどうせやることはないのだ。

  いつも感じていたイメージを基にとった行動なので、きっとこれにも何か意味があるのだろう。

  僕は静かにその器を持ち上げ、ゆっくりと口元へと持っていった。

  そして静かに飲んだ。

  普通の水と何かが違うそれは口元から全身に溶け込むようにして僕の体の中に入ってきた。

「あぁ、これは何か起きるな」という確信めいた感覚がした。ゆっくりと目を閉じる。そして最後の一滴が口先から零れ落ちる。

  頬を伝った最後の一滴が顎先から地面に落ちた瞬間に、鍾乳洞の中で天井から水滴が落ちたときような静かな水滴の音がした。

  とても静かな空間にちゃぽん、という音がやけに音が響いて聞こえた。


  閉じた瞼の奥から少しずつ光を感じて目を開けると、そこには真っ白な無機質な空間が広がっていた。

「あれは……」果てしなく続く真っ白な空間の中にポツンと、ぼろぼろの小さな社があった。

  なぜか空間移動していることにはあまり動じなかった。

  火の玉に付いていって神域に置いてある水を飲んだのだ。そりゃあ空間移動ぐらいの怪奇現象が起きたって不思議じゃない。

  鮮やかな紅色の門の奥にある、古びた小さな石造りの社にはこう書いてあった。

「朽瀬神社……?」

  この真っ白な無機質な空間に、数千年という年月を過ごした森の中にあるかのような社があった。


 朽瀬神社という小さな社から、和服を着た一人の男性が出てきた。顔がよく見えないが、なぜだろう、とても懐かしい感覚がする。

「人の姿でここへ来るとは、御伽の森へようこそ」

「御伽の森……、ここは……」

  この男の人は森と言っているが、ここにはこの朽瀬神社というもの以外何もない。何を言っているのだろうか。

「ここは、神隠しの行きつく先の世界です」
「御伽の森、神隠しの行きつく先の世界……」

「なぜここに生身の姿で来ることができたのかは分かりませんが、あなた何か悩みはありますか?」

悩み、悩みならいくらでもある。

「なぜ生きていくのか、分からないのです。なぜこの宇宙ができたのか、なぜ私は生きているのか、この答えが知りたいんです」

 とても長い沈黙の後に、ゆっくりとその男性は話し始めた。

「なぜ生きていくのか、あなた達が苦しんでしまう理由は言葉にあります」

「言葉……?」

「太古昔、現在の野生動物がそうであるように、人々はその日暮らしをしていました。狩りをし、木の実を食べ、外敵から身を守りながら生きていたのです」

「その日その日を生きるのに精一杯だったという意味でしょうか……?」

「その通りです。しかし、あるとき人は知恵と言葉を手にしてしまいます。知恵を手にし、言葉を話すようになり、本来の生物としての役割を超えた活動をするようになります」

  話のスケールが壮大すぎて話の理解に時間がかかりそうだ。彼は続ける。

「その結果、人々は文明を築き、安寧な暮らしを手に入れました。簡単にいうと、命の危険が無くなったのですね」

「ただ、文明が発展し毎日死の恐怖を感じなくてよくなった代わりに、少しずつ人類は別の苦しみを味わうようになります。それが、あなたの苦しんでいる『どう生きていけばよいのか』『何を信じて生きていけばいいのか』というテーマです。このテーマについて苦しんでいる生き物は人間の他には存在していません。その他の生物は毎日生きていくのに必死ですから」

 とても難解で、かつ複雑なことを言われて、僕はただただ立ち尽くしてしまった。

  なぜ人間が人生に悩んでしまうのか、その答えに近づけそうで近づけない。


「まぁまぁそう焦らずに。いきなり言われてすぐに腹落ちするような内容ではありませんから」

  そのまま立ち尽くしていると急にあたり一帯から蒸気のようなものが噴き出し始めた。

「しゅうぅぅぅぅ」というかすれた音を出しながら辺り一帯が真っ白な煙で覆われていく。

 人は一度に理解できるものの量には限界があるのだろう。もう何が起こっても動じなくなっていた。

  蒸気で何も見えなくなってしまう前に、はっと前を向くと初めてその人の顔が見えた。その人は僕が生まれる前に死んだはずの祖父だった。

  そして僕の目の高さまで煙が覆ったぐらいに一気に蒸気が噴き出し、たちまち何も見えなくなった。

「一体何が起きているのだ」

  あの人が話していたことの意味が分からない。

  朽ち瀬神社は、あの男の人は、僕の祖父は、どこへ消えたのだ。

  何も見えないがやみくもに動いても仕方がないので、視界が開けるまでただただ立ち尽くしていた。


 どのぐらい時間がたっただろうか、少しずつ視界が開けたと思ったらいきなり謎の生物が目の前に現れた。「ぴぃぃぃゅゅ」という音を出している。喋っているのだろうか。

  ふよふよと僕の顔の前を浮遊し、少しずつ右から左へと移動していく。薄桃色の輪郭をしたそれはとても気持ちよさそうに浮遊していた。

「何が起きたんだ……」

と困惑していると急に視界が暗くなった。

  目の前をみると高さ三十メートルはあるであろう大木が現れた。

「なんだこれ、でかすぎる……」

  少しずつ蒸気が引いていくと、その木の根元に朽ち瀬神社と、和服を着たさっきの男の人がいた。

  おまけに、この大木の周りにはさっきまで何もなかったはずの無数の樹木がある。

  そしてその木の周りに、さっきの生き物が大量に浮遊している。

「なんなんだここは……」
「ここが御伽の森、神隠しの行きつく先の世界です」

 さっきまでは何もなかった空間に、巨大な大木とそれを取り囲む無数の木々が現れた。

  ここが、御伽の森……。

  ということは、この目の前を浮遊している無数の生命体は神隠しに合った人達だということなのか。

  人間に近いけれど、少し人からは遠い見た目をしている。

 ふよふよと宙に浮かび、奇妙なのが体のほとんどを顔が占めている。

 「それではこの世界について詳しく説明しましょうか」

 その男の人は僕の目を見ながらゆっくりと、話し始めた。






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