『どうする家康』が始まったので……

前回の記事は嫌みが目立ってしまっていたから読んで下さっている皆さんもあまり愉快ではなかったかも知れない。
 
せっかくの成人の日だったのに申し訳ない。
 
そこで今回は口直しをさせて頂きたい。
 
1月8日から大河ドラマ『どうする家康』が始まった。
 
血で血を洗う、嘘や裏切りが当たり前といった戦乱の時代を終わらせ、江戸幕府を開いた天下人徳川家康(演じるのは松本潤さん)のお話だ。
 
ちなみに前作の『鎌倉殿の13人』の最終回では家康が吾妻鏡の愛読者であったことが語られて吾妻鏡を読む家康の姿が映っていたり、大晦日の紅白歌合戦では『鎌倉殿の13人』の主人公北条義時を演じた小栗旬さんから松本潤さんに大河のバトンが渡される演出があったりと、『どうする家康』は三谷幸喜さんや義時を演じた小栗旬さん、源頼朝を演じた大泉洋さんを初めとする『鎌倉殿の13人』関係者から熱いエールを送られているようだ。
 
そしてそれに応える決意やリスペクト返しの意味もあったのか、第1話『どうする桶狭間』では家康(次郎三郎元信、元康)のことを『鎌倉殿の13人』の重要人物である頼朝に例える描写があった。
 
また同じく第1話では「辛い人質時代を送っていた」という寺島しのぶさんのナレーションとは裏腹に当時次郎三郎元信だった家康が人形遊びを楽しんでいる等笑わせてくれたり、多くの大河ドラマでは織田信長(今作では岡田准一さん)の視点で描かれる桶狭間の戦いを当時元康だった家康や今川義元(今作では野村萬斎さん)の視点で描いて家康はいきなり大ピンチとなる展開で終わる等、多くの注目ポイントが見受けられた。
 
ところで桶狭間の戦いで家康が担ったのは戦の中で孤立してしまった大高城への兵糧入れという重要な役回りだったのだが、家康が大高城に辿り着いた際に疲弊していた武将が「味方じゃ…松平殿、三河勢じゃ…」と、安堵するカットが入った。
 
この武将の名は鵜殿長照。演じたのは名バイプレイヤーの野間口徹さんだ。
 
『どうする家康』の関連記事を見てみると、野間口さんが演じた鵜殿長照について「最初野間口さんだと分からなかった」という声があったらしい。

「野間口さんといえば眼鏡をかけているイメージだったから分からなかった」らしいのだが、僕も該当シーンを見た時は初め野間口さんだと分からなかった。
 
関連記事に書かれていたように「野間口さんといえば眼鏡をかけているイメージ」だったというのもあるのだが、野間口さんだと分からなかったのにはもう1つ理由があった。
 
鵜殿長照は2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』にも登場しており、この時は佐藤誓さんが演じていたのだがその描写はブラック企業の上司さながらで、風間俊介さんが演じていた家康に転戦命令を繰り返していたのだった。
 
ブラック企業の上司さながらのキャラと、兵糧入れに駆けつけた三河勢を見て心から安堵しているキャラの落差があまりにも大きかったことで初め僕はこの人物を鵜殿長照だと気付かず、オープニングを見て野間口さんが鵜殿長照役であることを知っていたが故に野間口さんだと分からなかったのだった。
 
『麒麟がくる』と『どうする家康』での鵜殿長照の人物像の落差に驚いた人は多いのではないだろうか?
 
人物像の落差といえば家康の正室である築山殿(『どうする家康』では瀬名という名前が当てられている)も『麒麟がくる』で小野ゆり子さんが演じた時と『どうする家康』の有村架純さんでは大分違う印象を受ける。
 
インタビューで有村さんは「たくさん笑ったり明るく振る舞う人物として瀬名を演じています」と語っているのだそうだ。

ちなみに個人的には「力も弱いし、心も弱いし、お腹も弱いし」だったり「弱虫、泣き虫、鼻水垂れ」で腹筋が崩壊しそうになったものだ。

さらに野村萬斎さんが演じる今川義元も『麒麟がくる』の片岡愛之助さんの時とは違う印象を受けるし、岡田准一さんが演じる信長もまた染谷将太君の時とは違う印象だ。
 
1話目では未登場のムロツヨシさんが演じる豊臣秀吉や古田新太さんが演じる足利義昭も恐らくは佐々木蔵之介さん、滝藤賢一さんが演じた時とは違う印象を受けることになるだろう。
 
『麒麟がくる』では主人公だった明智光秀もまた酒向芳さんが演じる今回と長谷川博己さんの時とでは違う印象になるはずだ。
 
何よりも松本潤さんが演じる家康の印象は『麒麟がくる』で風間俊介さんが演じた時のそれとは全く違う印象だ。
 
大河ドラマは基本的に史実を元にして制作されているから今川義元が討ち死にしてしまい、信長が大きく勢力を伸ばし出すことになる1560年の桶狭間の戦いのような大きなターニングポイントは、同じ時代を描いた作品では共通して見られるだろう。
 
しかし、登場人物の像だったりターニングポイントに至るまでの経緯などの細かな描写についてはどんな資料を参照するか、誰の視点で描かれるか、そして制作に関わる方々がどう描きたいか等が反映されるだろうから所々に違いが出てくることになる。
 
前作の『鎌倉殿の13人』では吾妻鏡を参照に、北条義時の視点で描き、三谷幸喜さんを初めとする制作陣が各キャラの人物像をどう描きたいか等が反映されて田舎の好青年が武士の頂点に上り詰めていく笑いあり涙ありの物語となっている。
 
三谷幸喜さんは歴史上の人物の像を描くことに関してこう語っている。
 
「例えば梶原景時(『鎌倉殿の13人』では中村獅童さん)は源義経(菅田将暉君)が出てくると悪者として描かれることが多い。だけど彼程の有能な人物が義経の良さを分からないとは思えない……となった時に『義経のことを深く理解しているが故に憎むようになっていく』というのが僕の中で納得のいく人物像だった。義経が奥州で立てた鎌倉攻めの計画を見た時に「この通りに攻められていたら鎌倉は滅ぼされていただろう」と義経の計画の見事さを褒めて、彼は嬉しそうなんですよね」(←これNHKの特番で言われていたんですけど間違いがあったらごめんなさい!)
 
それを聞いた時、僕はなるほどと思った。
 
『鎌倉殿の13人』では権力のために実の孫でさえ手にかけてしまうような悪名の高い人物として知られる北条時政(坂東彌十郎さん)が大河ファンから時政パパと呼ばれる愛されキャラとして描かれていたのも逆に頼朝が嫌われキャラになっちゃってたのも三谷さん等が制作の過程で納得のいく人物像を探っていった結果なのだろうと。
 
義時にしても「根っこは田舎の好青年で、鎌倉を守るためにそれを押し殺して独裁者として振る舞う人物」が三谷さん等にとってしっくりくる人物像で、小栗旬さんは秀逸な演技でそれを表現していたのだなと。
 
もしも参照資料が吾妻鏡ではなく愚管抄だったら?
主人公が北条義時ではなく慈円だったら?
制作陣が違っていたら?
 
『鎌倉殿の13人』は同じ時代を描いていても全く違うお話になっていたかも知れないのだ。(←まあ、慈円が主人公だったらタイトルも違っただろうけど……)
 
今回の『どうする家康』は桶狭間の戦いから始まったから、少なくとも1582年に起こる本能寺の変までは『麒麟がくる』と同じ時代が描かれることになる。
 
しかし、同じ時代のお話でも今回は明智光秀ではなく徳川家康の視点で描かれている。
 
だから『どうする家康』は『麒麟がくる』との違いを見つけながら見てみるとより楽しめるのではないだろうか?
 
個人的には『麒麟がくる』では描かれなかった長篠の戦いがどう描かれるのかを楽しみに見させて頂き、且つ歴史ドラマを見させて頂いているのだから以前の記事で書いたように『その時歴史が動いた』際に動かなかったらどうなっていたか、どういった経緯があって動いたかということを(もちろんドラマを鵜呑みにするのではなく実際の歴史の資料も参照にして)学んで現代に生かせるようにということも考えておきたい所だ。

 ……それにしてもアニメやドラマのようなエンターテイメントはいろんな形で楽しめるのがいいなあ。前回の記事とは違って今回は書きやすかった……

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