実はAI使ったことあります

まずはこちらの記事を見て頂けるだろうか?

間違ったことを言ったつもりがなくても相手を傷つけたり萎縮させてしまうようなことは起こりえるということはお分かり頂けるだろう。
 
上記の記事は「差別」や「テロリスト呼ばわり」という言葉を使った際に相手に対する配慮が欠けていた僕の自戒の念を皆さんにも共有して頂きたいという意味で書かせて頂いている。
 
ところで今回はAIを使うことについてもっと掘り下げてみたい。
 
イラストに限って言えば、僕は基本的には絵は下手でも自分で描いた方がいいと思うタイプだ。
ただしAIによるイラストを否定するつもりはない。AIは素晴らしい技術だ。AIはどれくらい進化しているんだろうという興味で使ってみるのも決して悪いことではないとも同時に僕は考えている。
 
だけど、表現の自由が何を伴って認められるかということを考えると何でもAIに任せてしまうことが得策だとは思えない。
 
使う、使わないの選択に関してある人の基準を例に考えてみたい。
 
『となりのトトロ』を初めとする多くの名作を生み出してきたスタジオジブリの宮崎駿監督は自分自身で筆をとって絵を描くことで有名だが、彼は自分の手で描くことに拘りながらもCGを否定しているわけではないようだ。
 
『終わらない人 宮崎駿』というドキュメンタリー番組がNHKで放送されていたのだが、『風立ちぬ』をもって長編アニメーションの制作からは1度引退した駿さんはその後若いCGアニメーター達と出会ったことで『毛虫のボロ』というCG短編映画を作っていたのだった。
 
『毛虫のボロ』の制作は難航したそうで、制作中止の危機に直面したこともあったそうなのだが、駿さんはCGに加えて持ち味である手書きも使って制作を続けたのだそうだ。
 
番組では“生まれたばかりの毛虫のボロが初めて外の世界を見る場面”にスポットが当てられたのだが、その時駿さんはボロの周りに不思議な生き物が飛び交う様子を描いたのだった。
 
ボロの周りを飛び交っているその生き物は何かと問われると、駿さんはこう答えた。
 
「夜の魚です」
 
これを聞いて「宮崎駿監督だ……!」と、ジーンと来た人は僕だけではないはずだ。
 
新しいものも取り入れながら自分の古き良き持ち味も発揮し、そして駿さんならではの不思議な生き物の登場。
 
彼はまさに終わらない人で、長編アニメーションの制作に復帰したのは必然だったと僕は思っている。
 
そんな風に新しいものもしっかりと取り入れる駿さんだったが、彼はある日“絵を描くシステム”(今のAIイラストの先駆け?)を見た際に怒って「取り入れるつもりはない」と宣言したのだった。
 
それはある企業が“絵を描くシステム”によって作られた動画を出した際に起きたことだった。
 
自分の頭を支点にして動いている人(?)の動画だったのだが、企業によると“絵を描くシステム”を使ってプロモーションとして“ゾンビゲームに使えるような気持ち悪い動き”を作ったのだという。
 
それを見た駿さんはこう言った。
 
「僕の友人に身体障害者がいる。ハイタッチをする時に彼は凄く苦労していた。僕はこの動画を見て面白いとは思えないですよ。生命に対する侮蔑を感じる。“気持ち悪い動き”を作りたいんだったら勝手に作れば良い。僕はこれを取り入れるつもりはない」
 
駿さんが言ったそれはあくまで「自分は取り入れない」なのだが、プロモーションが世界の宮崎駿を怒らせたとなるとシステムに対する印象は悪くなる恐れがあると判断したらしく、企業の会長は次のように述べた。
 
「この動画は試作段階ですので、これを(全国の?)皆さんに見せてどうというわけではないです」
 
……むしろ何も言わない方が良かったのではないだろうか?
 
駿さんが言ったのはあくまでも「自分は気に入らなかったので取り入れようとは思わない」であって「やめろ」ではない。
 
駿さんの価値観は駿さんの価値観で尊重するとして、自分達が作ったシステムは気に入ってくれる人や取り入れようと思っている人に取り入れてもらうのがベストではないだろうか?
 
第一、駿さんが「取り入れるつもりはない」と言った時に「皆さんに見せてどうというわけではないです」なんて言ってしまったら誰か1人が気に入らなかったものは公の場に出せなくなってしまう。
 
従って会長の発言はまずかったのではないかと僕は思っている。
 
駿さんに対して反論があるとすれば、寄生虫にとりつかれたカタツムリが寄生虫の宿主となる鳥に食べられようとする行為などを例に挙げて「不快になられたのでしたら申し訳ありません。ただ、私はこの動画を生命に対する侮蔑だとは思っていません。“痛い”とかそういった感覚を失ったら怖いんだということが伝わるメリットもあると思います」とか、そう言った方が良かったのかも知れない。(←言うて、僕自身もすぐにそういった反論が出来る程の弁論術は持ち合わせていないからあまり人のことは言えないのだが……)
 
会長のそういった発言に対して駿さんはこう言った。
 
「それ(試作品であること)は分かっているんですけど、あなた達は“気持ち悪い動き”を作って何がしたいの?」
 
それに対する会長の返答に対して駿さんは落胆することになる。
 
「“人間よりも上手く絵を描くシステム”を作ろうと……」
 
実は駿さんが“絵を描くシステム”を取り入れるつもりはないと言った理由は、それによって作られたプロモーション動画が彼の倫理観に合わないものだったからだけではなかった。
 
仕事机に向かいながら駿さんは言った。
 
「世紀末が近い気がするね。人間の方が自信がなくなっちゃってるから」
 
そう。“人間よりも上手く絵を描くシステム”と謳われるそれによって作られたプロモーション動画はジブリの絵には到底及ばなかったにも関わらず、人間のイラストレーターが自信をなくして「人間より上手い」等と言ってしまう情けなさに駿さんは落胆したのだった。
 
先程、表現の自由が何を伴って認められるかということを考えると……と書いたが、何を伴って認められるかといえば、例えばこちらの記事で引用させて頂いたような“表現者の他者に対する思いやりや配慮”もその1つだ。

他にもいくつか挙げられるとは思うが、僕はここで“責任”を挙げるべきだと考えている。
 
ところが機械は責任を持つということが出来ない。
 
従って機械に表現の自由を与えた場合、誰かが代わりに責任を持たなければならないはずだ。
 
それが出来そうにない以上、宮崎駿さんが「取り入れるつもりはない」と言ったのは深く頷ける。
 
AIのシステムを作っておられる方には申し訳ないが、AIが人間を超えるということはまず有り得ない。
 
ある記事によると、オセロ、将棋、チェス、囲碁などでプロに勝てるAIは、計算によって次の一手を算出しているらしい。
 
電卓を見て「人間より賢い」なんてまず言わないだろうから、この時点で人間より賢いAIが存在しないことは明白だ。
 
強いて「人間より賢い」と言える存在があるとすれば、人間が海にポイ捨てしたゴミを拾って漁港に届けに来るアザラシの方がよほど人間よりも賢いと言える。
 
あくまでも将棋でプロに勝てるAIは羽生善治さんや加藤一二三さんのデータがあるからこそ勝てる、人間の詰め合わせセットなのだと考えるべきではないだろうか?
 
且つ、機械だからどうしても人間がプログラムした通りに動いてしまうということもあるわけで、“AIの裏には必ず人間がいる”、“人間がいるからこそのAI”だということは理解しておかなければならないだろう。
 
さもなければどんな素晴らしい技術もガラクタと化す。
 
せっかくの技術がガラクタと化した例を挙げてみよう。
 
2月の頭にツイッターで大勢のユーザーが凍結されてしまう事件があったことは記憶に新しいのだが、はっきり言ってしまえば社員を大量解雇したあげくに人員がいないものだから管理をAIに任せきりにしたツイッター社の為体だ。
 
全てを人の手で管理することが難しいからAIを取り入れているのであれば、AIによる間違いが発生していないかということを人間が確認して管理しなければならない。これはごく当たり前のことだ。
 
……にも関わらず、何のマナー違反もしていない真っ当な人達が大勢凍結されたことに関して「AIなので仕方ない面もある」等と言い出す者がいた。
 
もしそんなことがまかり通ってしまえば何か問題があった時はAIのせいにして人間は責任を負わなくても良いということになってしまう。
 
それともAIの取り入れは何か問題が発生したときに本来責任を負うべき立場の人間がAIをスケープゴートにするためにやっているのだろうか?
 
例えば生活保護受給者の中に実際には収入があるにも関わらず無収入であると嘘の申告をして生活保護費をだまし取った詐欺師がいたとして、生活保護受給者に「HOGO NAMENNA」等と言えばそれは不適切行為なのだが、ツイッターの利用者の中に詐欺師やマナー違反者がいたとしても同じことが言えるだろう。
 
しかし、「HOGO NAMENNA」ならぬ「TWITTER NAMENNA」をやったのがAIであれば「不満もあるかも知れないけど良い所を見るように」しろと?
 
もしそうなのであれば、ツイッター社のトップには「イエローカードです。今後も同じようなことが繰り返されるのなら最終的にはレッドカードを提示します」を突きつけるしかない。
 
この際なので誰もが共有すべき認識を書いておこう。
 
AIのミスは人間のミスだ。AIは人間がきちんと管理してこそ素晴らしい技術になるのだ。
 
AIを自動車に例えてみるとそれがよく分かるのだが、交通事故が発生したときに「自動車なので仕方ない面もある」という者がいたとしたら、そんな人間に免許を与えてはならない。
 
そして交通事故が起きるからと言って自動車を使わないという選択は移動手段を1つ失うことになるので難しい。
 
だから僕等は“AIは自分達次第”ということをよく理解した上で安全運転しなければならない……と、偉そうなことを言ったけど、残念ながら僕自身もとんでもない大事故を起こしてしまったことがある。
 
実は初めに出した『間違ったことを言ったつもりがなくても……』の記事を書いた1ヶ月くらい後に僕も『Dream by WOMBO』というイラストを描くAIを使ったことがあった。
 
AIが描くイラストに関していろいろと言っても実際に使ったことがないのはあまりよろしくないし、1度使ってみるのもありかなと思ったのだが、その結果は……

 ……ピカソの絵を学習したのだろうか……?
 
一応僕は「the girl whose eyes are blue」(青い目の少女)と入れたのだが、どこで間違ってしまったのか……。
 
結論。やっぱり下手でもいいから絵は自分で描いた方がいい……と、なりそうになった。
 
ただ、先程も書いたとおりAIのミスは人間のミスだ。
 
少なくとも、別の方がこのAIを使って出したイラストはまともな人間の形を表現できていたのだ。
 
従ってこの時はやはり僕がミスった(使い方が違ったっぽい)のが原因だったようだ。
 
その方によると、「realistic」モードを使うとリアルになるらしい。
 
「realistic」モードで再度「the girl whose eyes are blue」で試して見た結果……

 まさに「何でやね~ん!」とずっこけてしまうようなイラストが出来上がってしまった……
 
もはやどうやったらAIに正しい絵を描かせることが出来るのか全く分からない。
 
そんなわけで、僕はAIを上手く使いこなせないらしいという情けなさを露呈してしまったと同時に、AIは素晴らしい技術ではあるが同時に誤学習しやすいシステムでもあるらしいことが分かった。
 
結論!やっぱり下手でもいいから絵は自分で描いた方がいい!……とならざるを得ませんでしたとさ(汗)
 
僕はそうなってしまったが、皆さんはAIを使ってみたときにどんな感想を持ち、どんな結論を出すことになるだろうか?
 
『Dream by WOMBO』のURLはこちらなので、興味のある方や使ってみたい方には是非試してもらいたいのだが、何分英語が必要だし、出来上がったイラストがもし特定の人種や特定の嗜好を持つ人達への差別や中傷を含むものだった場合は要注意して頂けるとありがたい。

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