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フィレンチェに住んだ英国人美術商の手紙 3

第4通

8, Lung'Arno Archibusieri, Florence
1902年12月10日

フライ様
 貴方の前信に久しくご返事しておりませんでした。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノGentile da FablianoのフィレンチェにあるMatriculation(ギルドの登録書類)について、全ての文書のコピーを同封します。
ジェンティーレは1422年8月7日に Arte de Medii et Speziali に画家として登録して、お金をSanta Maria della Tromba教会の礼拝堂に払っています。この教会は最近までMercato Vecchio にありました。金額は不明ですが、当時の通例では疑いなく銀貨で1リラ です。そしてまた12金フロリンから2フロリンが登録料としてArte de' Medii et Spezialiに支払われています。
登録手続きに ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノが支払った総額は、1422年11月21日までの文書には、何も記載されておりません。これはあやまって the Arteの事務局が紛失しているからです。 ジェンティーレはたぶん2フロリンより多く払ったでしょうし、そのため、ジェンティーレはこの文書日付から長期間はフィレンチェに留まらなかったのではないかと思っています。
 貴方はジェンティーレはSanta Trinitaのポポロ(Popolo)で生活していたと記述されたいようです。しかしながら、それは文書の読み間違いです。このpopoloは正確には聖職者住居ではなく、どちらかというと教会付属施設です。また Santa Trinita修道院の聖具室のために、ジェンティーレは現在アカデミーにあるあの有名な祭壇画を制作しています。

ソース:wikimedia Category:Adorazione dei Magi by Gentile da Fabrianoから

(訳者 三賢王礼拝の祭壇画:現在 ウフィッチィ美術館
https://www.uffizi.it/en/artworks/adoration-of-the-magi

貴方がRosenheimへの訪問を楽しまれたと聞き、喜んでおります。
Rosenheimのマントルピースの上にある素描は早くて16世紀のものです。ベレンソンは、それらにS. DElla Bella(訳注1)の影響を指摘して好評しています。あれらは擬古的な作品ですが、1550年より遅くはないと考えています。
私が想定していたCognate di Gitto というアイディアはうまくいかないのではないかと思ってきました。しかしながら、この議論は道を整理することにはなったでしょう。
以前書きましたように、私はチマブエについて研究し、一つの輝かしいアイディアもえました。それはバーナード・ベレンソンも認めております。
しかし、私はちょっと頭を冷やしたいと思っています。アッシジへしばらく滞在したあとで、貴方に長い報告を書くつもりです。貴方のお薦めに従って、私はDell氏に、A. BaldvinettiのLibro de d'Ricordiを送りました。私自身で全部コピーしました。そう長いものではなく、全部で5ページでした。しかしながら、それは彼がSanta Trinitaのヴォールトで使った彩色技法について興味深い解明になるものです。少量のリンシード・オイルしか記述されておりませんが、天井画が、熟達した油絵技法で仕上げられたとは、期待しなかったでしょう。Dellからそのことを聞いて、私が注釈を書くのを辞めてすぐ、貴方にあなたの批評のための資料を全部送りました。
 私の最新の仕事はLilleの胸像についての解説です(訳注2)。これはフィレンチェのマイナー・アートの新しい驚くべき側面を解明するものです。貴方はあまり注意を払われていなかった分野です。
 あなたのピエロ・ダ・コシモの半分(訳注3)について、良いニュースを期待しています。お役にたてることがあれば是非お知らせください。
  敬具
 ハーヴァート P. ホーン

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訳注1:Stefano della Bella (18 May 1610[1] ? 12 July 1664)
https://en.wikipedia.org/wiki/Stefano_della_Bella

訳注2:リール美術館のこの蝋製の像のことだと思います、デュマ(子)やプルーストも観てるみたい。当時は有名だったのに今はそうでない作品って検索が難しいんだね。
https://pba.lille.fr/en/Collections/Highlights/Ceramics-and-Decorative-Arts/The-Wax-Head#
訳注3:
National Galley London


第5通

5, Haymarket(訳者: ロンドンの劇場街・歓楽街)
1903年 7月 

フライ様、
 貴方のご家族で問題が起きたことを聞き、悲しく思っております。重大なことにならないことを切に願っております。
 Highnamの絵についての貴方の記事を楽しく読みました。貴方はジョット風の作品とされているようですが私の友人はかなり良いpseudo-Gittoだとみなしています。
貴方の記述は多すぎず少な過ぎないものでした。私はこの件は放っておくつもりです。Highnamのパネルについては何も言わないのが賢いと思っています。我々の友人達はちょっと疑惑をもっておるようです。
 

聖コスマスと聖ダミアン

 Bicci di Lorenzoによるほぼ等身大の聖コスマスと聖ダミアンのパネルはどうでしょう(訳注)? ひとつの頭部は消えてしまって補筆されたものですが、もう一つはStrozziによるメディチ家の肖像のようなものではないでしょうか? 大聖堂礼拝堂窓の下にある Bicci di Lorenzo作の使徒肖像と比べるのはどうでしょうか? 勿論、Bicci di Lorenzoは、ほとんどの場合、作品の画面では Lorenzo di Bicci という名前を書いています。これらについては、まだ学習中です。
 わたしのAlessoについての文章をお読みいただき、アドヴァイスもいただき、ありがとうございました。サンタマリア ノヴェッラについての文章は急いではおりません。クラブで Bicci di Lorenzoをまた実見できると思っています。
  敬具
ハーヴァート P. ホーン
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訳注  Bicci di Lorenzo, SS. Cosmas and Damian, Santa Maria del Fiore,Florence, 1429

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