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フィレンチェに住んだ英国人美術商の手紙 4

第6通

8, Lung'Arno Archibusieri, Florence
1904年 12月 30日

フライ  様
貴方のお手紙をたいへん喜んでおります。
ちょうど昨夜、Steatfieldは、あのCondivi(訳注1)についてのAthenaeumの切り抜きを送ってくれました。友情や御優しい御性格から、あまり褒めすぎないことを私は望んでおります。つまり、私は、貴方が述べられたことにこの本が値することを願っております。 私の翻訳技法について言及していただきうれしく思っています。わたしの翻訳の文体を褒めていただけてありがとうございます。短く文章を切るのではなく、うねうねと長い擬古典的な文章ですけどね。
 「サタディ」誌と私の件で、会われましたでしょうか? 「サタディ」誌は、とてつもないひどい失策 真夜中に襲うようなひどいことを私にしています。彼らは、「Contado」という言葉を「Country」と訳したことにも怒っております。しかしながら、私の手紙を印刷してくれるだけなら、大丈夫です。この件には気をつけて見ていただきたいのです。
 「Crow and Cavalcastell」本の北イタリア巻に関することについて、貴方が困っていることを聞いています(訳注2)。バーナード・ベレンソンが執着している件にあなたが怒っているのはまったく正当です。それは、英国だけでなく米国でもそうでしょう。そのような諍いは失業や解雇を生みます。私は、そういうことを解決することができると思いませんが、たいした問題ではないと思います。貴方がフィレンチェへの旅を考えられるなら、私が貴方のために空いた客室を用意していることを思い出してください。 
 私は今、Giovanni da Marco(訳注3)のことを研究しています。彼は、いわゆるJacopo del Casentinoの作品の本当の作者です。私は、彼の土地台帳を多数発見しました。これは、まだミラノ人たちは知りません。今、彼の同時代のどの画家よりはっきりした人格だとおもいます。私はこのことをRivista d'Arte(訳注4) に書くつもりです。バーリントン・マガジンには書けません。なぜなら、かなりの分量になるからです。挿図はいらないのですが、6-8頁になるでしょう。

ナショナル・ギャラリー ピストイア祭壇画 聖三位一体

  私のもう一つの発見は、貴方にとってずっと興味深いと思います。でも、まだ誰にも話していません。私が貴方に話すのは、貴方の意見を訊きたいからです。英王室コレクションにある祭壇画の1翼部は、ピストイア祭壇画の左翼です。ピストイア祭壇画の中央画面の聖三位一体は、ロンドン・ナショナルギャラリーにあります。翼部は聖大ヤコブと聖Mamantiを描いています。
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/francesco-pesellino-and-fra-filippo-lippi-and-workshop-the-pistoia-santa-trinita-altarpiece
ドキュメントは、Rivista d'Arteにあります。これらのドキュメントを参照することにより、私は、ペセリーノ自身の作品だと結論しました(訳注5) 。我々は、このような大型のペセリーノ絵画について何も知らないことを考えなければならないといっても、そのフォルム、衣紋、手足の末端, 聖Mamantiの足、特に背景の樹木全てがペセリーノです。
 私はこの作品を写真でしかみておりません。貴方が、私が述べたことをもとにして、この作品を研究される時間をつくられることを望んでおります。
WaagenのArt and Artists inEngland, 1838vol Ⅱ, page125を参照されるならば、Ottleyが中央画面だけではなく両翼まで当時持っていたことがわかるでしょう。右翼も、英国にあることは確実です。Custにはまだ話さないでください。私は一番のりでやりたいと思っています。貴方に時間があれば、この発見についてのお考えを私におしらせください。
敬具
ハーヴァートホーン

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訳注 この手紙の英文は難しく、不十分な翻訳にならざるをえませんでした。一応読める程度には、邦訳させていただきました。
訳注1 Condiviというのは、Ascanio Condivi (1525-1574) であり、ミケランジェロの弟子で、ミケランジェロの伝記を書いた人です。ヴァザーリは、列伝の第二版を書くときに、このCondiviの本を参考にして、ミケランジェロの項目を増補しました。ref. ミケランジェロ・ブオナローティの生涯 (Artist by Artist) ペーパーバック ? 2020/7/6
ジョルジョ ヴァザーリ (著), デイヴィッド ヘムソール (解説)

訳注2 「Crow and Cavalcastell本」は、Langton Douglas編集、 Crowe, Joseph Archer; Cavalcaselle, A History of Painting in North Italy: Venice, Padua, Vicenza, Verona, Ferrara, Milan, Friuli, Brescia, From the Fourteenth to the Sixteenth Century; Volume 1
です。ロジャー・フライが此の本を酷評したことで、反撃されたようです。

訳注3 Giovanni da Marcoは、別名Giovanni dal Ponte (1385?ー1438 フィレンチェ)で英文wikiに記載がありました。

訳注4  Rivista d'Arte フィレンチェの美術写真会社出版社 アリナーリが刊行していた雑誌
訳注5 Francesco Pesellino (probably 1422ーJuly 29, 1457) この祭壇画は現在はロンドン ナショナルギャラリーにある。この再構成はホーンが特に誇っていた業績だったが、別人に盗用されて、トラブルになった。

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