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自分の中で突然始まった第5次ガンプラマイブームとは?

■序章

2019年に突然自分の中で始まった第五次ガンプラブーム。小学校6年生の時にガンダムという作品にのめり込み、さらにHOW TO BUILD GUNDAMに衝撃を受けて始まったガンプラマイブームがこれまでどのような変遷を遂げてきたのか、その歴史を振り返ってみる。

■第一次ガンプラマイブーム

私がガンプラを作り始めたのは恐らく1980年だったと思われる。最初に購入したのは、それまで言葉を交わしたことがない1つ年上の学校の先輩から「ジム」を転売してもらったことを記憶している。全国的なガンプラブームの真っ最中で、簡単にガンプラを購入できない状況にあった。恐らく300円のキットを450円くらいで譲り受けたように記憶している。ヤフオクやメルカリがなくっても40年前から「ガンプラせどり」は既に横行していたわけである。ガンダムではなく量産型という存在である「ジム」に異様なリアルなカッコよさを感じ、それを手に入れたときの興奮度合いと、先輩が不要だったから譲ってくれたジムになぜ私がそんなに興奮しているのか不可解そうにしていたのをよく覚えている。

当時は模型に色を塗るという概念がなく、模型雑誌を見てもどうしてよいのかわからずに、ポスターカラーを塗りつけてドロドロにしたりと、どうやったら例作の様に作れるのか、思い悩んだことをよく覚えている。当然お小遣いで模型誌も購入まではできず、本屋さんでパラパラとみることしかできず、記事を読み込むこともできない状況であった。ガンプラを上手く作れた実感はないのだけれど、絶えず脳内で雑誌のイメージに変換して楽しんでいたような記憶がある。

その後、ガンダムの映画三部作の放映が終了し、全国的なガンプラブームも一段落。近所の模型屋でも少しづつガンプラが買えるようになってきていた。小学生の頃には校区外にあって行けなかった模型店に通えるようになていたそんなある日、衝撃的な発売予告を目にしてしまう。

それが「高機動型ザクⅡ」、そうモビルスーツバリエーション(MSV)の始まりである。バイダイが発行している「模型情報」という雑誌、というかリーフレットに近い情報誌に掲載されていたのであるが、ザクの後姿しか掲載されていなかったように記憶している。

いったいこれは何なのか?ザクの後姿と、いかにも高機動風なバックパックを見せつけられて、心臓の高鳴りが止まらなかったのを覚えている。情報入手がままならなかった当時、まだHOW TO BUILD GUNDAの存在を知らず、いきなり飛び込んできた高機動型ザクの衝撃は今でも忘れることが出来ない。

こうしてMSVにのめり込み、この流れのままZガンダムが放送開始、ZZガンダムから逆襲のシャア公開まで、長らくガンプラを作り続けることになったのが私の第一次ガンプラマイブームであった。

■第二次ガンプラマイブーム

ガンプラを作り続けるうちに、自分自身も成長して、やがてガンダムは所詮はアニメという気持ちが芽生え、リアルな兵器へその興味は変遷していく。ただしプラモデルへの興味は尽きることなく、その後飛行機モデラーへと転向、社会人になると車に興味を持つようになり、F1ブームからカーモデラーへ転向していった。いつしかガンプラを全く手にすることがなくなってしまっていた。

モデラーであることに変わりはなく、ホビージャパンを読んでいた私に、衝撃の連載が始まる。「究極のガンプラ」を作るという企画で、後にこれが商品化される。歴史的な出来事である1995年の「マスターグレード(MG)」誕生である。それまでテレビアニメと連動して商品化されてきたガンプラが、MSV以来、映像作品なしに商品化されたそれはまさに奇跡的な出来事であった。カーモデラーだった私は、丁度その頃夢中になりすぎて自分で自分を苦しめていた。レースカーにデカールを貼った後の段差が気になって、クリアーコート&研ぎ出しに手を染めてしまい、プラモデルを作ることが修行になり苦しく感じるようになってしまっていた。そこにガンダム救世主のように現れて、自分の心は一気にガンプラに持っていかれてしまった。こうしてMGと共に第二次ブームが始まっていったのであった。

マスターグレードモデラーとなり、MAX塗りを覚えるようになると、いよいよ楽しくなっていった。しかしその頃、結婚して子供もできると1/100スケールのキットを家に持って帰るもの、飾っておくのも、長時間塗装をするのも後ろめたい感じになってくる。そなるといよいよキットを完成させることが出来なくなり、積みプラが増える悪循環に陥り、罪悪感からガンプラから次第に遠ざかり、自然消滅していくこととなった。

■第三次ガンプラマイブーム

1998年、プラスチック関係の仕事をしており、新規市場開拓の一環で静岡ホビーショーを訪れていた。そのショーで心を激しく動かされた商品に出会う。当時OVAで人気を博した08小隊のプラモデルである。1/144グフカスタムに心を鷲掴みにされていた。とても緻密でカッコいいグフが展示されていた。1/144のサイズ感は1/100であるマスターグレードの程のパーツ割がなくても十分緻密さを感じることが出来る。マスターグレードを生み出したバンダイが1/144を本気で作るとこうなるのかと感動したのを覚えている。

そしてその出来の良さは話題となり、やがてハイグレード・ユニバーサルセンチュリーシリーズ、いわゆるHGUCシリーズを生み出すことになる。子育ても一段落して、そして仕事で頻繁に宿泊出張に出ることになった私はいつしかHGUCの虜になっていった。

タッパーモデリングを始めたのもその頃。パーツ数の少ないHGUCは説明書を見なくても組み上げることが可能で、パーツを全切りしてタッパーに詰め込み出張時に持参。宿泊先のホテルでモデリングをすれば家族に迷惑をかけることもない。スナップフィットだから接着剤もいらない。色プラだから塗装をしなくてもそこそこ見れる。子供が巣立てば老後に塗装をするために保管しておけばよい。そう割り切るとガンプラが楽しくなった。HGUCと共に第三次ガンプラブームは大人のたしなみとなっていった。

■第四次ガンプラマイブーム

タッパーモデリングはなかなか良い思い付きではあったものの、やっぱり塗装が出来ないモデリングはフラストレーションがたまっていった。また時間がかからず組み上がってしまうので、次回作の発売を待つイライラ感が募るようにもなって来て、またまた自然消滅的にガンプラを作らなくなっていった。

そんな中、またまた事件が起こった。「マスターグレード ザクver2.0」の発売である。マスターグレードはそもそもが1980年代に発売されたガンプラの究極のリニューアル商品であったはず、それが再びリニューアルされるという事件だったのである。それはとてもプラモデルとは思えないほどの、完璧なザクであった。これは商品ではなく作品だ。ガレージキットをも上回る出来の良さに一気にやめたはずの大きい箱を家に再び持ち帰ることとなった。

そして、何よりもver2.0の構想は共通フレームを固定して、ザクのバリエーションを全部出せるようにするということが雑誌で語られていたのである。実際にver1.0の際には発売されなかったザクマインレイヤーやザクキャノンが発売され、ガンダムもリニューアルされて、これを軸にフルアーマーガンダムやパーフェクトガンダウアで発売されて、至福の時を過ごすことになった。

■第四次ガンプラマイブームの終焉

そんな第四次ブームもある日突然終了する。それは自身の心臓発作が引き金となる。突然高速道路を走行中に発生した心臓発作、いわゆる頻脈であったのだが、幸運にもブラックアウトはしなかった。家族一同高速道路上で死んでいてもおかしくなかったのであるが、幸い大事に至らず帰宅は出来たものの、その後、心臓手術をすることになった。

結果的には現時点で難も問題もない程に完治しているのであるが、その時は死を覚悟したし、手術乗り越えた超えて以降は第二の人生を歩んでいるという認識で過ごしている。いつ死んでもおかしくない、やりたいことはすべてやっておかなければならない。そんな強い思いを感じるようになり、ガンプラをやっている場合ではないと思い立ち、所持しているガンプラを全て捨てて私の第四次マイブームは終了することとなった。2015年頃の話である。

■第五次ガンプラマイブームの始まり

そこまで決意したガンプラの世界になぜまた舞い踊って来たのか。
それはやはりHOW TO BUILD GUNDAMの影響に他ならない。あの世界観が再現できる、、、これは死ぬ前にやっぱり果たしたい究極の夢である。

そう長年思って来ていて、新しいガンプラシリーズが始まるたびにガンプラに復帰してきた訳であるが、、しかしどれもその夢をかなえてくれる存在ではなかったのである。

結局のところMGはMSVラインアップを全て出すことにはならず、HGUCはアニメ寄りになって緻密さがない。その後EXモデルやRGが発売されて緻密さも課題はクリアーしたものの、やはりMSVを商品化してくれるほどラインナップを広げる存在にはならなかった。

そんなおり、OVAでジ・オリジンがアニメ化された。本当は本編がTVシリーズ化されるとの初期アナウンスであったのだが、旧TV版との差分である、一年戦争前の期間のみが映像化されたのである。とても残念なことであったのだが、、なんとHGブランドで、プラモデルが発売されたのである。それもHGUCではないために、HGUCですでに発売されているザクが同スケールで別ブランドで商品化されるという驚きの展開となった。

それでもガンプラから遠ざかっていたために直ぐにこれを手に取ることもなかったのであるが、、、なんとこのフォーマットで高機動型ザクⅡが発売されたのである。しかも直前にHGUCでも同モデルを出しているにも関わらずである。どういうことかと驚いているうちに、ネット販売専用でザクキャノンが発売され、ちょっと平常心を保つのが難しくなる。OVAに登場しないMSVモデルがこのブランド内で展開され始めたのである。そしてアクト・ザクの発売やジムキャノン、ジムスナイパーカスタムと続いていく、、、これは!!

我慢ができるはずがない!!!

そう思った2019年の夏。自分のデスクの上にはオリジンシリーズのシャアザクが置かれていた。

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