倍速視聴で、空っぽの記憶
~どれだけ量があっても、空っぽを掛けた答えは空っぽ~
こんばんは。Reijiと申します。
前回の投稿は大きな失敗でした。
投げ銭記事にしたことは些細な話。まっ、ムダと分かったので無料化しました。
「速読はやめて倍速で読もう」との提唱でしたが、理解される説明ではありませんでした。次の世代の現状をよく調べていなかったままに出してしまったことで、一見すればひどく時代遅れに思える書き方だったようです。
倍速視聴という手法が簡単になって、誰でも多かれ少なかれやっています。しかし、最初から倍速を授けられていた世代には、倍速でなければならない強迫観念にまでなっていたようです。
倍速で話に触れることは、それ自体はいいと思うのです。しかし、耳で聴く話を、倍速のままで記憶していた。あとでWikipediaで理解する、という言い訳で。
「斜め読み」と変わらない「斜め聴き」。
物語の映像はまだ、記憶を思い出して考える余地ができるかも知れません。でも、そこで流れる「音と声」を記憶してはいても、大切な「話」が伴っていない。それでは、既存の記憶にある情動から当てはめていくだけで、言葉からの学びが無いのではないか、と思います。
幼い常識のままで判断してしまう、まるで成長しない怖さが、そこにあるのです。
知っているセリフを出されて「あ、それ俺も知ってます(∀`*ゞ)エヘヘ」で終了するコミュニケーションを、回数だけ何度も打っていいねをもらえて、満足なのですか?
「後で調べます」は、九分九厘調べないで終わります。せめて、字幕を表示して読んでください。
無茶苦茶な自動字幕でも、無茶苦茶だっていうことが意識できるだけ幾分マシでしょう。
字幕=文字として捉える言葉があり、音に同時進行している環境を作ってください。声を無意味な音階のままにせず、話の中のことを考えてもらいたいのです。
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