ものまね芸人の原一平さん
1999年頃、私は新卒で入社した会社を退職して世田谷区の環八沿いのクルマ屋でアルバイトをしていた。大学時代にフォルクスワーゲンビートルに乗っていたことがあり、外国車に興味があったので主にヤナセが販売するメルセデスベンツやシボレーなどの中古車を販売する店を選んだ。
土地柄、富裕層のお客さんが多く、芸能関係や会社の重役さん、士業の方々も大勢いらしたと記憶している。その店は福島から出てきた社長が一代で築いた会社で、元は米軍の軍人からクルマを買い取り、日本の富裕層に販売して会社を大きくしたとのこと。ランボルギーニミウラを売ったこともあると所長(店長)は自慢げに話すのだった。
さて20世紀も終わるその頃、私は毎日洗車をしたり、書類を作成して警察署に車庫証明を取りに行ったり、陸運局に名義変更の手続きに行ったりと忙しい日々を過ごしていた。前職で取引先のお偉方と話す機会も多かったので、アルバイトは接客はしなくてもいいと言われていたものの、積極的にお客さんとコミュニケーションをとって先輩にバトンタッチしたり、時には自分で販売まで漕ぎつけたりした。
前置きが長くなったが、ある日所長がゴールドのS500を仕入れてきた。こんな派手なクルマ売れるのか?と考えていたが、どうやらお客さんの要望で仕入れたらしい。数日後、お店に現れたのが小柄で個性的な風貌をした60歳くらいの男性。私が最初に対応すると「アレ(ゴールドベンツ)、オレが買うんだよ」と言う。「オレは寅さんのものまねしてるんだよ。本人の公認はオレだけなんだ」と自慢げに話すその人は仕事にプライドを持って生きている感じがひしひしと感じられてとても眩しくみえた。「オレは原一平っていうんだ。腹いっぱい飯が食えるようにってその名前にしたんだ」と笑った。
後日納車の日にまた原さんが店にみえた。所長が原さんと話している時に「クルマの中にある書類持ってきて」と私に指示した。すぐにクルマのところまで走っていってドアを開け運転席に座るとガサゴソと書類を探した。すると後ろから「コンニチハ」と声がした。声というより音だった。その瞬間、「驚いてはいけない!」という強い電気信号のようなものが私の中に走った。後部座席に人がいたことに加えてその声が機械の音だったことにとても驚いていた。しかしその驚きを「絶対に見せない」という強い気持ちで「こんにちは。気づかずにすいませんでした。」と至って平静を装って伝えた。そして書類をすぐに見つけて「失礼します」とクルマから去った。
お二人でゴールドベンツの隣で話している姿はとても仲が良さそうで今でもよく覚えている。奥様の病気を乗り越えて、厳しい芸能の世界で舞台に立ち続け、東京で家庭を築き、立派な家とメルセデスのSクラスを手に入れた幸せいっぱいの姿だった。
それから十数年が過ぎ、「奇跡体験アンビリーバボー」という番組で原さん夫婦の芸と病気との闘いの物語がドラマとして放送された。私はそれを後にネットニュースで知ることになる。後悔したのは言うまでもない。
それから原一平さんと奥様について検索してみた。すると奥様はご自身が癌で声帯と舌を切除して人工声帯を装着しただけでなく、同じく人工声帯の方の発声の訓練をする先生として活躍されたとのこと。また人工声帯の普及に尽力され、雑誌に寄稿されているのを今でもネットで見ることができる。今ではお二人とも鬼籍に入っているが、今でも仲良く思い出話に花を咲かせているのだろうと思うと心が温かくなる。
このことを以前からなんとなく残しておきたいと考えていたので、noteを始めてすぐの勢いのあるこの機会に書いてみた。