「わかってくれない人」に対するコミュニケーションのあり方
今年の箱根駅伝は青学の圧勝で終わりましたが、主催者が沿道での応援の自粛を呼びかけたにも関わらず、大勢の人が集まっていることに対して一部のマスコミから疑問の声も上がりました。
個人的には自粛はあくまで「お願い」なので呼びかけを無視する人がいても何とも思いませんし、もしかしたら主催者も後で何かあったときに備えて「こっちは”自粛して”と言ったからね」というスタンスで、本気で言っていない可能性もあります。(沿道の観客を無理に追い払うようなことをしていなかったので)
ここで一つ気になったのが、もし主催者が本気で自粛してほしいと思っていたら、どのようなコミュニケーションを取ればよかったのか、ということです。
普通に「自粛してください」と言えば素直に従う人もいますが、要請を無視するような「わかってくれない人」には少なくともコミュニケーションのあり方を根本的に変える必要があると思います。
実はこのように「わかってくれない人」に対するコミュニケーションは研修の場においても重要な課題です。
企業内で行う研修の場合、すべての受講者が講師の話を素直に聞いてくれるとは限りません。
新人に対して社会人の心得を伝える場合、ほとんどの方は素直に受け取ってくれます。しかし、ベテラン管理職に対してハラスメント防止の話をすると、中には話を聞いているフリして心の中で「こんなの意味ねーよ!」と思っている方も見受けられます。(顔に表れますのでわかります)
「何でわかってくれない!」は発信側のエゴ
こんなとき、研修がうまくいかないのは「大事なことを伝えたのにわかってくれない!」と受講者のせいにする講師もいらっしゃいます。
(「自粛しろ」と呼びかけたのに沿道に集まる人は「モラルがない!」と非難するのも同じことだと思います)
しかし、いくら聞き手のことを責めても相手はおそらく1ミリも歩み寄ってくれません。下手をすれば「うっせぇわ!」で終わりです。
結局のところ「何でわかってくれない!」と感じるのはあくまで発信側の視点であり、聞き手の立場から見ると「わかってくれない人」を責めるのは発信側のエゴに過ぎない可能性があります。
そこで発信側が理屈を並べて相手を説得しようとする、もしくは相手を論破しようとする、なんてことを考えてしまうと、聞き手の心はますます離れていきますので完全に逆効果です。
「何をどう伝えるか」よりも、「聞き手は誰か」のほうが重要
「言いっ放し」で良ければ、聞き手がどう受け取ろうと発信側は言いたいことを言えばいいと思います。
ただし、聞き手に行動を変えてほしいと思うのなら、少なくとも聞き手の心に届く言い方をする必要があります。
私が研修の講師として一番気にすることは今日の教材の内容よりも、受講者の方はどのような人で、何を大事にしているのか、何に困っているのかといったことです。
例えば多くの部下を抱え、現場も忙しい中間管理職の方であれば
・「忙しいのに研修なんてやってられない」と思っている
・とにかく現場の業務を回すことが大事だと思っている
・部下が多すぎて面倒を見切れないと思っている
といったことを想定したうえで、「こっちが伝えたいこと」ではなく「相手が気にすること」を話すようにします。
もう一つ大事なことが、研修では様々な人が参加するため、こちらも様々なコミュニケーションを用意しておくということです。
冒頭で挙げた例に戻ると、駅伝の主催者が不特定多数の人に対して自粛を呼びかける場合も様々な言い方を用意する必要があるかもしれません。
それこそ「みんなのために自粛してください」という言い方で従う人もいれば、「今年はテレビで観戦したほうが面白いですよ」と言ったほうが家から出ないという人もいると思います。
もっとも主催者も矛盾したメッセージを出せないので現実的ではないのかもしれませんが、駅伝の例はあくまで考えるための題材として受け取っていただければ幸いです。
もし「わかってくれない人」に出会ったとき、何をどう伝えるか一生懸命考えるよりも、聞き手を理解することに注力したほうが、結果的に「わかっていただける」のかもしれません。
人の数だけコミュニケーションの取り方があるので、何が相手を動かすかは試してみないとわからないと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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