やってはいけないこと
よく「○○の人がやってはいけないこと」という文句がある。
言いたいことはわかるし、ある意味では合っているところもある。
ただし、あらゆることは「半々に」受け止めることが大事。
不登校や引きこもりの家族に向けたメッセージを読んだ。
そこに、「強引に外出させてはいけない」とある。
確かに、「強引に」というところに問題はあるが、
時として、そういうことが必要な場合もある。
例えば、家族で自然豊かな田舎へ旅行をするとする。
都内の殺伐とした空気から離れようとしている時、
「俺は別に興味ないから家でゲームしてる」
と言う息子がいた場合、ある程度、強制的にでも連れて行く意味もある。
最初は不貞腐れた態度でつまらなそうにするかもしれない。
でも、周りが楽しく笑顔に心地よい時間を過ごしていれば、
自然と時間が経つごとに感化されてくるはず。
こういったことが良いか悪いかはわからないし、
親子関係など、人それぞれでケースバイケース。
ここで言いたいのは、絶対に「してはいけないこと」というのはない。
あえてあげれば、「自殺」とかになるだろうが、
「自殺」すら、捉え方次第で真逆の意味にもなる。
イエスキリストなどは典型的な例ですが、
彼は「己を殺し」て「神に徹する」ことができたからこそ、
何千年経ってもその教えが多くの人々に受け入れられている。
全く自我(エゴ)の入り込まない完全な「自殺」とも言える。
肉体的な生命を自らの逃げ道として断つことは、
決してやってはならないが、キリストのように他のために尽くすため、
己の自我を殺すこと、プライドを捨てること、
完全に「自殺」することは最も尊いことであるとも言える。
「殺人」だって、肉体生命を奪うのは犯罪でしてはならないが、
「誉め殺し」という言葉があるように、見えない精神世界で、
相手が気分良くなることならば、殺したって問題はない。
「やってはいけない」「してはならない」
反対に、
「やらなければならない」「しなければならない」
どちらも、不自由であることがわかる。
どちらが良い悪いではなく、両方の真ん中、
中立の中庸の心でバランス・調和をとっていく。
そうすれば、わざわざ自分を追い込むようなことはせず、
もっと気楽に、気軽に物事を捉え、進む道も見えてくる。
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