舞台『秒で飛び立つハミングバード』
大人になるって
自分になるってことだと思う
皆さん。
忘れ物。忘れ物をしたことはありますでしょうか?
電車に?いえいえ。自宅にです。
忘れたことに気づいたのが最寄り駅の時。ちなみに、最寄り駅が自宅から徒歩15分ほどと勝手に仮定した時。
貴方はどの程度の忘れ物なら
重い腰を持ち上げて、取りに帰りますか?
そこまでダメージのない携帯電話や口紅。おっとれいちゃんは諦めが早いのか、執着がないのか。なかなかそれも珍しい生態です。ですが流石にお財布は8割の確率で取りに戻ります。
残り2割は、忘れたまま出かけるわけではなく。
”外出を諦め帰宅する”
という選択肢でございます。
取りに戻るわけではないので
“帰る確率なら100%じゃん”
というツッコみはせずお手柔らかに。
そんなれいちゃん。
実は先月、お財布を自宅に忘れてしまった日がございまして。帰宅するか、取りに帰って目的を達成するか…。さんざん悩みました。
悩んだ結果。
昨年史上、最も印象に残った舞台『秒で飛び立つハミングバード』に出会うことが出来たことをここに記します。記念すべきぼっち舞台鑑賞。
それでは、ですます調からの急な切り替えに遅れることなくついてきてくださいね。
■『秒で飛び立つハミングバード』観タキッカケ
とあるカフェの、同じイベントに舞台の脚本家の方が参加していたことがきっかけで演劇団体『かるがも団地』の存在を知った。
イベントが始まる前に
”会社員として働く傍ら、舞台の脚本を描いています”
そう話していた脚本家の方。
はて。
片手間で脚本って描けるのか…?
というとてつもない興味。そして同時にどうしてもその舞台を観てみたい!という相変わらずな好奇心が相まって気づけば1カ月半も先の舞台公演の予約をしていた。
題名は「秒で飛び立つハミングバード」
よくわからないけど、観てみよう。
先の予定を決めるのが大の苦手な自分。
軽い気持ちで申し込んだ自分の行動に少し驚いた。
■『秒で飛び立つハミングバード』開演前
そうこうしているうちにあっという間に1か月半の月日は流れ。当日には駅でお財布を忘れたことに気づくという失態を犯すも。
5分ほど、もう帰ってしまおうかと迷いながらもお財布を取りに戻って向かった先。
場所は下北沢からほど近い劇場。
劇場といってもキャパは30人ほどの箱。
ライトに照らされて埃が宙に舞うのが見える光景が、なんだか大学時代の自分のダンス公演を思い出して懐かしかった。
3番乗りくらいで獲得した座席を。
日本人式オセロと言わんばかりに
周りからどんどん埋まってゆく。
私のように一人で来ている子もいれば、
友人数人を引き連れている方も。
お父さん世代の方もいて。
お客さんを年齢順に並べたら、大家族が出来そう。そんな風に今思い出している。
アンケートに答えて待っていた。
パンフレットに描いてあった人物相関図をサラっと頭に入れて。
”小道具で楽屋がとっ散らかっている”
そんな文言の脚本家の方のご挨拶に少しクスッとした。
そうこうしているうち
アナウンスと共に、”そろそろかな”と思う頃に始まった。
■『秒で飛び立つハミングバード』少しだけ内容
主人公の仁科(ニシナ)、
そして仁科の近所に住む絵莉子(エリコ)を中心に
進んでいくストーリー。
顔見知り程度であった2人は、
互いの知人カップルの引っ越しを手伝った際に
居合わせたことがきっかけで交流を深めていく。
私の語彙力では語り切れないので語らないが。
というか語り切れないし
もはや語ることは出来ない(なんやねん)
大まかに言うと。
30代手前の仁科は現在。
運送会社の倉庫でピッキングの
アルバイトをしている。
大学時代には
スキージャンプの国体にも出場していたが。
”あの頃がピーク”
と過去を栄光化し。
今は夢を見ることも。笑うこともなく。
ただ単調な”ピッキング”という
作業に明け暮れている。
一方の絵莉子はとにかく鳥類に目がない高校教員。
仁科からしたら“鳥”という
夢中になれる対象のあるいわば眩しい存在。
羨ましい存在。
しかし、絵莉子自身にとって”教員”は母に勧められて促されるまま“人生の保険”として取った教員免許というカード。それ仕方なく行使している”妥協”の人生。
働く。
何かを始める。
自分の好きなことと仕事。
選択をするのは自分なのに
言い訳をしたくなったり。
別の人の選択が輝いて見えたり。
弱っていた人が急に輝いて感じる焦りとか。
置いていかないで、って。
そんな登場人物それぞれが抱える選択と
そこに付きまとうもどかしさに
胸が苦しくなるほど共感できる内容だった。
それでいて、ユーモアもたっぷりだった。
■『秒で飛び立つハミングバード』印象的なブブン。
”大人になるって、自分になるってことだと思う”
登場人物の1人が発した言葉がとてつもなく印象的だった。もはやこのセリフしか覚えていないくらい眩しい言葉だった。
眩しいというか、
図星というか。
とにかく凄まじく胸をギュンっと突き抜けた。
学生までの人生はなんとも便利で
有難いことに小学○年生、大学○年生。
など概ね年数を重ねれば
自動的に肩書や人生の区切りがついてきてくれた。
もちろん”新卒○年目”など、
卒業後でも区切りを示す言葉はあるっちゃあるが。おおよその人生の区切りは
自分自身で決めなくてはいけない。
新しいことを始めるも、
それを続けるも。自分で選ばなくちゃいけない。
どんな瞬間を増やせば幸せを感じるのか。
その程度はどうか。
嬉しいことにも。
悲しいことにも。
自由には常に責任が付きまとう。
もはや就職をしないという意思決定をした
自分・れいちゃんにとって今見えている社会は
サハラ砂漠のような、大海原のような。
けれど、全ての意思決定は"自らが選んだ”という前提の下に成り立つのであって。
言い訳したい時も、
自分が何がなんだか分からなくなる時も。
何かを始めて調子がいい最初の頃も、
続けていくうちにルーティン化して
まるで義務のようになってしまって。
“これで良かったんだっけ”
という自問自答も含めて。
”自分になる”
ことなんだ。
そう気づかされる、覚悟を迫られたような。
それでいてみんなそうだよ、あなただけじゃない。と背中をそっと押してくれる作品だった。
ちなみに、『ハミングバード』はハチドリのこと。
登場人物達が『ハチドリを見つける』という共通の目的によってストーリーが展開していくことにちなんでいる。たぶん。
■『秒で飛び立つハミングバード』何がすごいって。
この舞台の何が凄いって。
とにかくクオリティが高くて、見飽きない。
そのクオリティを支えているのは
”登場人物1人ずつに
スポットを当てたストーリー展開”
のような気がする。
舞台を実際に見れば分かるのだが、
明らかに人が足りていない。
驚くべき役者の少なさに最初は少し驚く。
おばあちゃん役の役者さんが
次のシーンでは中学生を演じているから驚きだ。
けれど、話についていけるし。
なんなら切り替えに面白いくらい見入ってしまう。
細かく区切られたシーンの中で、基本的に1人の登場人物の出来事とナレーションで語られる絶妙な心情。同時進行で進む演劇であったらきっと取り残される私の理解力を、丁寧なナレーションと役者の方々の役毎の凄まじい切り替え力が補ってくれた。
あぁ次の演劇も観たいし。
もう一度この舞台を観たい。
“働く傍ら”で
このクオリティだとしたら恐ろしい
本当に本業ではないのか?
少々疑いたくなるような満足感だった。
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