アフター・コール時代のCDUを見る

今回は私の支持するCDUのコール以後の党勢を見ていき、CDU支持者の視点から分析をしていこうと思います。
私は地域的国民国家論を構築しようとしていますが、まだ未完のその理論の、特に未完の内政理論への補強となれば良いとも考えております。


ショイブレ時代

1998年、ドイツ統一に貢献し、任期はビスマルクに匹敵する程だった首相ヘルムート・コールが、選挙での大敗の責任を取って、首相と党首職ともに辞任しました。それに代わってコールの懐刀であったヴォルフガング・ショイブレがCDU党首に就任することになりました。ショイブレ党首時代において、その体制開始からスキャンダル発覚までは概ねうまくいっていました。コール体制下での大敗にも関わらず、ショイブレは強いリーダーシップを発揮し、また、大敗はしたものの名誉党首となっていたコールの威信は未だ健在であり、党は地方選挙でも勝利を重ねていたのです。ショイブレは時に冷酷と思われることもあり、彼の人気は必ずしも高くはなかったものの、概ね彼への反発は少なく、その決断力があり、雄弁かつ、切り口が鋭く、頭脳明晰な彼のリーダーシップのもと、CDUは党勢を回復していました。党が時代に適応できておらず、圧倒的にSPDに立ち遅れていた1970年代のキージンガー・バルツェル体制下の1回目の野党期のような悲壮感は無く、党内の士気も高かったのです。当時、右派のショイブレの党運営の成功から、コール体制下での大敗は左派の責任とまでも言われることがありました。しかし、ショイブレやコール、フォルカー・リューエら有力議員のスキャンダル発覚によってまたもやCDUは1回目の野党期のような悲惨な状態に陥ることになってしまったのです。

ヴォルフガング・ショイブレ(1942~2023)

二頭体制期

スキャンダル発覚によるショイブレ退陣後、政治経験の乏しい、自由主義経済を尊重する経済派、伝統を重視する保守派の右派党員の代表のフリードリヒ・メルツと、キリスト教の理念を重視して左派的な社会保障政策を推進するキリスト教社会公正派、進歩主義的な社会政策を推進する社会政治的自由主義派の左派党員の代表のアンゲラ・メルケルにより党の舵取りが行われることになりました。メルツは院内総務、メルケルは党首に就任し、それぞれ党運営に邁進しましたが、その党運営には双方とも失敗したといっても良いでしょう。メルツは、ショイブレを想起させる切り口の鋭さと雄弁さ、決断力を持ち合わせていましたが、数々の問題発言や、左派との対立で求心力を失い、院内総務の座を明け渡さざるを得なかったのでした。一方のメルケルも、その立場が不明瞭なまま、党員にも国民にも刺さる言葉を編み出せずにシュレーダーのリーダーシップに翻弄され続けたのでした。また、メルツの後ろ盾となっていた保守派の大物CSUのエドムント・シュトイバーが2002年選挙で敗北したことで、さらにCDU内は混乱に包まれたのでした。

エドムント・シュトイバー(1941~)

メルケル体制期

シュトイバーの後ろ盾を失ったことで、力を減退させたメルツが副院内総務の座からも退き、保守派の勢力が弱まると、メルケルの力が発揮しやすい土壌が整えられました。メルケルはシュトイバーらCSU有力議員や、ライエンらCDU党内の女性党員や左派の協力を得て、SPDに選挙で辛勝すると、SPDとの連立に着手し、メルケルは政権獲得を達成しました。政権を獲得したメルケルは、党内の統括に苦心しました。政敵メルツの提言のもと作られた新自由主義的な党方針であるライプツィヒ決議に基づいた慎重な自由主義的経済政策により、ドイツは統一によって傷ついた経済を回復し、堅調にしました。また、国際的にもシュレーダー政権において西側から離れた外交を再び元に戻し、ドイツが西側の大国との立場を得ることに成功したため、国内外からメルケルは賞賛を受けました。しかし、政権中盤にさしかかると、他の保守派党員とは違い、党内で大きな力を持っていたために冷遇されていたメルツが、ライプツィヒ決議から逸れつつあるメルケル政権の福祉・環境政策を舌鋒鋭く批判し、自由主義経済の尊重を要求したことで、経済派と保守派から拍手喝采を浴びて党内外から大反響を巻き起こしました。しかし、当時の社会政治的自由主義派とキリスト教・社会公正派の支持を得ていたうえに、SPDと緑の党の支持もあったメルケル政権の地盤は盤石であり、メルツによるこの反転攻勢は失敗に終わりました。ですが、その後のウクライナ危機・欧州債務危機・移民問題と続く危機や問題のなかでメルケルは求心力を失い、新型コロナウイルス流行の中でCDUは野党に転落したのです。

アンゲラ・メルケル(1954~)
CDUの党内派閥

メルツ体制期

メルケルが2021年に退陣した後、メルケルの後継者として左派の有力党員アルミン・ラシェットが党首となりました。しかし、ラシェットは総選挙においてオラフ・ショルツ率いるSPDに敗北したことで、責任を取って党首を辞任しました。やはりここで注目されたのはメルツです。彼はこの間に財政・金融・経済・労働部会長として政治経験を積み、さらにアルミン・ラシェットを党首選で破ったことで、保守派・経済派の指導者の地位を明瞭にしました。メルツはメルケル体制下では経済委員会の長を務めており、彼の経済手腕は明らかでした。さらに、移民問題に対しても、AfDのような排斥を掲げることも、SPDやメルケルのような受け入れ促進を加速することもなく、現実的な路線を打ち出しました。メルツは2025年2月末にある総選挙に向け、「再び誇りに思えるドイツのために」を掲げました。メルツの下CDUは、メルケル・ショルツ政権下の移民の過度な流入によって国内で移民・反移民双方の犯罪が増加したことを指摘し、ドイツの治安と移民の規制を強化し、非合法移民の抑制を重要な政策としています。CDUは、2024年12月のマクデブルクでのAfD支持者の移民によるテロを危険視し、これに代表される、移民やその反対派による犯罪を防ぐと主張しています。一方CDUは「人道と秩序」のバランスを重視し、国境での難民の受け入れを制限する方針を打ち出しています。また、CDUは、移民の統合過程を強調しており、市民権取得は「統合の終わり」に位置付けるべきであり、逆に「統合の始まり」として機能しないよう政策を設計しています。つまり、移民が社会に適応し、ドイツの法律や文化に適合することを重視しています。しかし、その一方で、移民の経済的効果を理解し、労働意欲のある移民の秩序ある受け入れを推進しています。また、ライプツィヒ決議に基づいた自由主義経済と、現実的な欧州統合を掲げており、伝統と時勢に基づいた国民政党となるべく邁進しています。

フリードリヒ・メルツ(1955~)

政治分析とAfD批判

現在、ドイツではショルツ政権の崩壊に伴い、2025年に総選挙が開催されることになりました。かつての経験から極右の台頭が抑制されていたドイツでも、ナチ批判・民主主義の維持・移民排斥を唱えるアリス・ワイデル率いるAfDが台頭しました。CDUはそれに対抗し、現在支持率1位を保っています。私は常々、「AfDは内実を伴っていない」「AfDはドイツの孤立と経済衰退を招く」と厳しく批判してきました。AfDの党首ワイデルはXでのイーロン・マスクとの対談では、他政治家の悪口ばかりを言い、建設的議論は行われず、また、彼女は伝統的家庭を主張しながらも、彼女自身はそのような価値観とは反する同性愛者でもあるのです。私は同性愛者を否定しませんが、それで伝統的価値観を主張するには、内実が伴っていないと感じています。また、反EUを掲げ、移民をAfDの言っているようにしたところで、結局は労働力は足りなくなるうえ、欧州市場を失ったドイツの製品は米中とどう渡り合うのかという問題があり、さらに逆に欧州諸国もドイツ市場を失えないと私は考えるのです。AfDが内実を伴わせずに民衆をある種の「熱狂」に巻き込み、「何のために」「何をするか」が明確でないまま政権を獲得しようとしていると。CDUはそれに対して、過去に「何のために」「何をするか」という問いかけが幾度もなされ、その度にそれに答え、ひとつひとつ解決してきており、今はそれが明確になっています。私は幾度となくCDUの歴史・実績・その主張の現状への有効性を主張してきたこともそこに根拠の一つを持ちます。以上を読んだうえで、私の主張に共感していただければ幸いです。

おわりに

CDUは、AfDの台頭・ウクライナ問題など結党以来の大きな試練に直面しているといえるでしょう。しかし他方で、CDUは動態性の高い政党でもあります。あるイデオロギーや組織形態に固執したり、ある特定の社会層を優遇し続けることで、時代の変化に取り残されたことはない。むしろ、この政党は社会の変化に敏感でした。ときに大胆な路線転換や組織改革を断行しながら、社会の動きを積極的に取り込んできました。今後、厳しい時代が待ち受けていることは間違いありません。ですが、CDUの未来は、その過去によって約束されると言えるでしょう。
今回はここで終わりとします。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ではみなさん、よい一日を。

参考文献

近藤正基著『ドイツ・キリスト教民主同盟の軌跡』
ミネルヴァ書房 石田勇治著『過去の克服』
白水社 網谷龍介著『計画なき調整』
東京大学出版会 今野元著『ドイツ・ナショナリズム』
中公新書 板橋拓己著『アデナウアー』
文藝春秋 カティ・マートン『メルケル』

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