自分の言葉の方が楽?
インタビューを原稿にするとき、
「その人が言ったそのまま」の言葉じゃない、別の言葉に変換(翻訳?)することがある。
というかそればっかりしている気がする。
この作業がほんとうに脳みそを使う。
どんな定義の言葉をどんなシーンでどんなニュアンスで使っているのか?
それを変換するにあたり、この記事この媒体ならどんな変換の仕方が適切か?
その変換のしかたに当てはめたとき、果たしてどんな言葉が適切か?
ていうかそもそもいま私が使おうとしている言葉の定義は正しいか?
みたいなことをぐるぐると考える。
「わかる」は「わける」からきている、という話を聞いたことがある。
分けるから分かる。
あなたはあなた、私は私。と分けるから私がなんたるかが分かる。
これはおにぎり、これは手巻き寿司。と分けるからおにぎりがどんなものなのかがわかる。
の、か?笑
とにかく他人の言葉を翻訳するのは骨が折れて、でもそこが醍醐味かとも思うし、
エッセイや日記のように自分発の言葉の方が気が楽だなと思う反面、
やっぱりそこにも、ある種の変換や、また厳しい言葉の定義の確認作業が入ってくる。
果たして私の言いたいことは、本当にこういうことなのか?
この言葉を使って相手に(または自分に)伝わるのか?
適当に言葉を使っていないか?
適当に言葉を使っていないか。
きっとこれに尽きるのだろう。
めんどくさくても疲れていても時間がなくても、どれだけ誠実に向き合えるか。
それができるかできないか、だ!
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