記憶が固定される
母の父が亡くなったときのことを、
その昔、ブログに書いたことがある。
(いま探したけどパッと出てこなかった…)
火葬場を出るとき、青空がとってもきれいで、あぁ寂しいがせめて晴れていてくれて良かったと、そんなようなことを書いた。気がする。
母があんなに泣くのを初めてみて、
あぁ、母は母なだけでく、祖父の娘なんだなぁと、
彼女も私となんら変わらない人間なんだ、と初めて感じた…ようなことを書いた。気がする。
こんなふうに、言葉にしておくと、記憶が固定化される。
単純に脳内に残るって意味じゃなくて。
自分が昔書いたものを後から読むことで、
あぁこんなことがあったんだ、とか、
あぁこんなことを感じたんだ、とか、
後からそのことを、書いてあるその通りに、再確認する。
…でも、ほんとにそうかなぁと、最近思う。
そのブログを書いたとき、私は正直だったか?
読み手のことを気にして、ドラマティックに演出していなかったか?
長くなるからと書き残さなかったことはないか?
人に読まれたくなくて、選ばなかった方の言葉はないか?
そんなことを考え始めると、文字にして固定化したことで、私の記憶は一本道になっちゃったんじゃないかな、と考える。
他にも捉えようがあった出来事を、ひとつの捉え方に固定した。んじゃなかろうか、と。
昔、知り合いのライターさんが、「あえて書き残してない」とおっしゃっていたなぁ。
私の思いも、もしかしたら、それと同じなのかもしれない。
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