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🇹🇭なぜジュライホテル・楽宮ホテルは人を魅了するのか@ヤワラー2017
なぜこんなにもジュライホテルの廃墟は私を引き付けるのか?
ヤワラーのジュライホテル。かつて日本人バックパッカーが沈没していたホテルの廃墟。私は寂れたこの地域から離れたくなくなっていた。
カオサンのしかも後発組の私からすると、ジュライホテルの全盛期のバンコクを経験するには数十年遅く生まれていた。
この数十年で変わり果ててしまったバンコク。それよりもさらに数十年遡るバンコクを根城に沈没していた男達を羨ましく思ってしまう私がいる。
エントランスは固く閉ざされている。真上を見ると、かつてのジュライホテルの室内から撮られた写真と同じ窓枠が見える。中は朽ち果ててるのだろうか。粉塵だけが積もったシングルルームに想いを馳せた。
ドラッグ。女。安い飯。全てが揃っていたという。路地裏に入るとジメジメとた濡れた地面。かつて「冷気茶室」と呼ばれた「ちょんの間」の残照も見てとれた。
いや、まだ数店舗は店を構えていた。私をジッと見やる店主を横目に歩を進めた。
通りに戻った。シャッターを閉めた寂れた店の玄関口の階段に、一人の中年女性が腰掛けていた。塗りたくった白い白粉。太い年齢に似合わない濃い口紅。
私を見るとニンマリと愛想笑いを浮かべて無言で5本の指を差し出した。「どういう意味か?」と聞くと、「500バーツよ」と言う。
一瞬何の事か分からなかったが、「私を500バーツで買えるわよ」と言う事だった。
後ろ髪を引かれる思いで、ファランポーン駅に戻った。絶賛工事中で、地下鉄が開通するという。そうしたら、このヤワラーの遺跡のような界隈も変わり果てるだろう。
かつてのジュライホテルを経験した人から直接話を聞いてみたい。まだ実現できないでいる。
BTSも無かった頃のスクンビットと、そこへバスで向かったジュライホテルの日本人達を羨ましく思う。
しかし、私はスマホもなく、ネットカフェのでなんとか知人と連絡を取り合った2000年代の前半のカオサン後期をわずかに経験できた事を感謝したい。そう思うしかない。
ーータケシ