努力≠成果

日本は根性論が好きだ。

どんなに非効率的・非生産的な行為でも、そこに汗・血・涙があれば美談として語り継がれる。

逆に、どんなに学問的に美しく、理にかなっている行為でも、人間の手が加わっていなかったり、あまり労力を必要としない仕事はすぐ、手抜きだ、だらしがない、誠意がみられないと批判される。

この構図は社会において顕著に観測されるだろう。学校や会社において、一番長く勉強や仕事をした者や、朝から晩まで学校や職場に残っていること自体が称賛される。

ここではっきりさせよう。

『一定のレベルを超えた努力は、努力ではなく人生の無駄である。』

これには二つの側面がある。一つは、いくら努力と情熱を費やしても長時間かかっても実らない努力は体力的にも精神的にも悪影響だということ。もう一つは、時間という、質とは無関係な変数を中心とした競争は本質から外れた行為だということ。

前者について。

他人の効率の悪さには気づきやすいが、人はどうしても自分の努力が報われたいと思ってしまうので、成果=努力で計算する。努力は測りづらいために、成果を作業時間にしてしまう。これは一見モチベーションの管理や報酬系の側面で効果的だと思われがちだが、しかるべき作業量をこなしていなくてもやったと勘違いしてしまう上に、長時間作業は疲れやすいので苦手意識があるものはそれを助長してしまう。

後者について。

世は地獄。エクセルで出た結果を計算機で手計算させられる地獄。画期的なプログラムで大幅に作業時間の削減に成功するとズルしただろ!と上司に怒られる地獄。作業が早いほど仕事量が増える反面給与は定額制なので、時給をあげるために最長の時間で作業を終わらせるよう計算しながら定時すぎてもオフィスに残らされる地獄。


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無謀なことはやめようじゃないか。

それに長時間作業していてはバランスの取れた生活が送れない。しっかり食事をとり、早寝早起きをし、趣味や運動に回す時間も確保していく。

最初の方は全然時間が足りないと感じるかもしれないが、それはどの作業をするのが大切か、本質を見極めることができていないから当然いらないことまでしようとするから時間が足りなくなる。

時間を短縮しようとするうちにそのスキルは身につく。中庸を大事にするライフスタイルを心がけよう。きっと視野も広がって従来よりも成果が出せるはずだ。


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