あなたの余命は何年ですか?
――余命10年。このフレーズに心を動かされた理由は、ただキャッチ―だからだけではないと思い改めました。果たして自分の余命はあと何年だろう?そんな疑問と、潜在的に向き合ったからだと思います。
人生は物語。
どうも横山黎です。
今回は「映画『余命10年』を観てきた!」というテーマで話していこうと思います。
◆余命10年
先日、映画『余命10年』を観てきました。小松菜奈さんと坂口健太郎さんがW主演の物語です。20歳で難病を発症して余命10年を宣告された茉莉と、未来への希望を失った和人が紡ぐ、純愛物語です。
劇中の全ての音楽を担当したのがRADWIMPS。二人の運命に寄り添う切ないメロディーが涙を誘いました。
この映画は小説が原作なんですが、その作者である小坂流加さんも実は難病を患っていました。初出は2007年らしいんですが、2017年に文庫版が刊行されることになります。しかし、その刊行を待たずして、この世を去ってしまったというのです。
そして数年経った2022年の3月。映画が公開され、多くの観客を魅了するに至りました。原作の文庫版も80万部を突破したそうです。
今回は、『余命10年』の魅力と、自分なりに考えたことを綴っていこうと思います。
◆圧倒的な映像美
物語自体に特別目立った演出はありません。難病を患った女性と生きる希望を失った男性が出逢い、響き合い、傷つけ合い、愛し合う物語です。
ただ、僕が魅力を感じたのは、物語の見せ方です。
たとえば、物語冒頭。
茉莉が撮っているビデオカメラの映像がそのまま流れていくんですね。ですから、もちろん手ぶれしているし、映像は地続きだし、映画っぽくありません。しかし、僕はそれが良い効果を生んでいるなあと思いました。
ホームビデオを観ているような懐かしさと温かさを覚えました。この映画の入り口がビデオカメラの映像だったからこそ、作品の空気感に自然と溶け込むことができたのです。その映像の全てが愛おしく、美しいものでした。
さらに、圧倒的な映像美が僕の胸を震わせました。
予告でも流れましたが、桜が風に舞って、二人が目を合わせるシーン。あそこの映像はたまらなかったです。そもそも僕が桜好きだからでもあるのですが、ああいうものを見せられると、やっぱり実写っていいよなあってなります(笑)
下手に言葉を入れようものなら壊れてしまうような、それくらい繊細なシーンだと思っていて、僕はそれが大好物です。
あえて語らないことも物語の見せ方なのです。
物語中盤、壮大な音楽をBGMに茉莉や和人を含めた仲良し4人組がいろんな場所で同じ時を過ごす映像が流れたのですが、僕、泣きました。
「希望を失いつつあった者たちがとびっきりの笑顔で生きることを楽しんでいたから」という物語的な理由もあるんですが、それに加え「映像と音楽だけの物語に胸を打たれたから」という演出的な理由もあります。
「語らない物語」って魅力的だなと思ったのと同時に、僕自身創作する身なので自分の作品作りにも活かしていきたいなと思いました。
◆あなたの余命は何年ですか?
最後に、僕がこの映画から考えさせられたことを、ここに残しておこうと思います。
「余命10年」と聞いて、あるいは目にして、胸を突かれるような感覚に陥ったことを思い出します。
この言葉からは、静かな衝撃を受けます。余命半年とか、余命1年とか、よく耳にするのはそういうフレーズですが、数字を変えるだけでここまでキャッチ―な言葉になるとは思いもよりませんでした。
ただ、このフレーズに心を動かされた理由は、ただキャッチ―だからだけではないと思い改めました。
果たして自分の余命はあと何年だろう?
そんな疑問と、潜在的に向き合ったからだと思います。つまり、「余命10年」というフレーズが他人事じゃないと考えたわけです。
「余命」というのは概念ですから、考え方によって定義が変わってくるものです。
生まれたその瞬間から、死に向かって生きるわけですから、余りある命を生きていくという意味で、余命と捉えることもできます。
そもそも、自分の命の火がいつ燃え尽きるのか分かるはずがありません。風に吹き消されることも、誰かに吹き消されることも珍しくない世界ですからなおさらです。
自分の余命は、あと50年かもしれないし、30年かもしれないし、それこそ10年かもしれないわけです。余命1秒の可能性もゼロではありません。次瞬きをしたら、胸が苦しみだすかもしれないわけですから。
そんな風に考えると、命の不安定さを憂えると同時に、時間が惜しくなります。
明日果てるかもしれないその命を無駄にする
今日があってはならない。
『余命10年』を鑑賞して、僕が行き着いた結論です。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
【#266】20220323 横山黎