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桃から生まれない桃太郎


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「卒業論文『芥川龍之介研究 『桃太郎』を中心に』の第1章『桃から生まれない桃太郎』を共有する」というテーマで話していこうと思います。





(一)桃から生まれない桃太郎

 昔話「桃太郎」は、桃から生まれた桃太郎がおじいさんとおばあさんに育てられ、犬と猿と雉と共に鬼退治を果たし、宝物を手にして帰還するという物語である。日本五大昔話にも数えられており、老若男女に親しまれる国民的昔話だ。

 皆川の行った学生を対象にした昔話の認知度調査によれは、「話を知っている」と回答した回答者が最も多かったのは「桃太郎」である。また、好きな日本昔話を回答させる調査でも、二位に大きく差をつけて「桃太郎」が首位に輝いていた。桃から生まれる不思議な誕生や鬼退治に行く冒険性が、「桃太郎」の人気を支えていることが分かった。

 近代において、「桃太郎」は小学校の教科書に掲載されていた。それまで民話として各地にそれぞれの特色を残しながら存在していた昔話「桃太郎」は、一時的に教材として扱われ、日本国民全員が学校で読むことになったため、おおよそひとつの物語に統一された。その物語と現在広く伝わっている物語とで大きな違い無いことからも、昔話「桃太郎」が今日に至るまで圧倒的な認知と人気を誇るのは、小学校の教科書に掲載されたことが影響していると考えられる。『芥川桃太郎』について論じる前に、再話元である昔話「桃太郎」がそもそもどのような歴史を辿ってきたのか、その変容を整理するところから始める。

 日本最古の歴史書である「古事記」には、伊邪那美尊を助けにいくために黄泉の国へ行った伊邪那岐尊が、逆に伊邪那美尊から追い払われ、従者によって追求される。そのとき、その従者を追い払い危難を逃れられたのは、桃の実を三つ投げたからである。山葡萄でも、筍でも追い払うことができなかったにも関わらず、黄泉比良坂の麓にあった桃の木から三つをもぎ取り投げつけたことで、従者たちを退治することができたのだ。その功績もあり、腿にだけ「意富加牟豆美命」という神の名前を与えられることになる。

 これほどまでに桃が重宝されているのは、古代中国の文化が日本に流れてきたからだと考える説もある。古代中国では神聖な儀式である占卜に桃が使われていたこともあり、神聖な植物として重宝されてきた。彭によれば、「土壌が痩せ水も乏しい西北地方の厳酷な自然条件の中でも、桃は繁殖しやすく、結実も早く実りが多い」ため、「大事な食糧」であり、「一種の神秘的な力を持つ樹木として重宝されていた」という。

 また、桃李成蹊という故事があったり、桃源郷という言葉があったり、西王母伝説が残っていたりすることを踏まえると、桃を神聖視する風潮が日本に伝わり、「古事記」の物語にも反映させたと考えるのは自然なことである。

 他にも、岡山に伝わる温羅伝説、源為朝伝説など、様々な物語に結び付ける説が多数存在するが、昔話「桃太郎」の発生と成立の事情は推測の域を出ることはなく、時間と空間を超えて、多くの昔話や伝承、あるいは歴史的事件の影響を受けながら物語は変容していったと考えられる。


 室町時代の作品に「太郎話」というものがある。タイトルの通り桃太郎ではなく太郎の話であり桃すら登場しないため、一見桃太郎の物語とは一線を画すものと思われるが、しかし共通するところが多く見られるため、後の昔話「桃太郎」に影響を与えた一作品と考えられる。

 貧しい夫婦の暮らしが描かれる場面に始まるが本作は、桃が登場しないために桃から生まれる子どもが描かれることはない。夢を見て子どもをひとり授かる夢を見たといい、それから夫婦そろってひたすら神に祈っていたところ、果たして妻が懐妊したのである。そうして生まれた子どもに太郎と名付けた。太郎は成人すると、同心三人を共にして、海に渡ることにした。渡航先で貿易に成功し、外貨を手にして村に戻った桃太郎は、港を開いたことで村が大いに繁栄させた。

 小池が「経済方面で栄えている土地、成功者への尊敬やあこがれなどが、それを我子に語り、子供をいましめた」と指摘しているように、この時代における多くの庶民たちの願うところは「貿易が成功する」「市が栄える」といった経済的発展であった。そうであるが故に、昔話「桃太郎」における「鬼退治」にあたる「海外渡航」や「外国人との貿易」に重きが置かれず、その先にある「開港」や「市の繁栄」に置かれたのだ。

 昔話「桃太郎」との関係性について疑う者も中にはいるだろう。しかし、犬猿雉の従者たち、敵対する鬼たちは登場しないが、太郎が三人の家来を連れて海を渡る点や、醜悪な外国人を形容するために「鬼」という単語を使っている点を踏まえると、昔話「桃太郎」との関係を認める方が自然である。

 また、『太郎話』の太郎は桃から生まれないが、そもそも桃太郎は桃から生まれるから桃太郎とされてきたわけではない。江戸期につくられた話のなかには、桃から生まれない桃太郎が登場する。むしろ、その誕生の仕方の方が多いのだ。


 現存する最古の文献は、享保八年(一七二三年)に刊行された赤本「もゝ太郎」である。まず注目したいのが、桃太郎の誕生場面である。現代にまで残り続ける誕生の仕方「果生型」ではない。最古の「桃太郎」は桃から生まれないのだ。

 おじいさんとおばあさんが川から流れて来た桃を食べたところ、ふたりとも若返り、そのまま子作りをして若返ったおばあさんが子どもを産む。

 他にも、主人公の名前が「太郎」と名付けられていたり、桃太郎が鬼が島へ向かう目的は、宝物を奪取することであったり、現在に残る桃太郎との相違点が見られる。そこには鬼から宝物を奪うことを当然とするという前提の共通認識を持つ必要があり、「鬼」=「悪」という等号が成立することになった次第なのだろう。

 先に紹介した『太郎話』では「鬼が島」が外国であり、「鬼」である外国人を醜悪としていた。ここにも、異なる者を悪とする思想が垣間見える。元々は庶民の素朴な夢が託されていた「宝の島」である鬼が島も、その前に立ちはだかる鬼を退治することに重きが置かれるようになってきた。舩戸は「鬼の非道ぶりが披瀝されることで、鬼が悪の権化として祭られ、鬼は退治される対象として次第に正当化されていく」と指摘しており、滑川も「『鬼』を悪者と決めて疑わない。つまり悪だから退治するのである」と指摘している。

 江戸期につくられた昔話「桃太郎」のなかには、パロディや後日譚といった二次創作的な作品も存在する。

 『桃太郎元服姿』では、桃太郎の鬼退治後、スパイとして送られた鬼娘が、桃太郎に復讐を果たすどころか恋心を抱くこととになり、その葛藤故に自害してしまう物語が描かれる。

 『山入桃太郎』では、正直者の老夫婦と邪険な老夫婦が登場する。前者は拾った桃を食べて若返り桃太郎を生むが、後者は拾った柿を食べて若返り柿太郎を生む。柿太郎は蛙、烏、蟹を連れて鬼が島へ鬼退治に向かうが、自らが鬼に捕らえられてしまい、最終的には後からやってきた桃太郎によって救われる。その恩のために桃太郎に長く仕えることになり、桃太郎の家が繁盛したという物語である。

 他にも様々な角度から、桃太郎が創作されていることから、庶民の間にも文化が隆盛し、滑稽な笑い話が求められていたことが分かる。

 ただ、それだけではなく、先に紹介した最古の「もゝ太郎」のように、大した根拠もなく鬼を悪とし、鬼退治をすることに焦点が置かれるようになってきたことも江戸期の特色といえよう。

 『桃太郎大江山入』のように仇討意識をもって鬼退治に向かう話は少なくない。それが時代の変遷と共に、桃太郎をより「善」とし、鬼をより「悪」とすることになり、明治以降、桃太郎は政治利用されることになる。江戸期にみられる単純に笑える話として創作されるのではなく、社会に訴えたいものがあり、それを意図的に桃太郎の物語に反映させる創作が増えていくのである。


※執筆途中の卒業論文であるので、今後変更する可能性が十分にあります。また、記事として読みやすくするために、元の原稿よりも改行を多くしています。




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