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「多様性」と「0」と「1」

私のマイノリティー

私、バイセクシャルなんだよね。
そう恋人に伝えた時、「へえ」と言う返答をいただいた。
「気にならないの?」と聞き返すと「別に。性別関係ないだけでしょ?何も特別じゃないじゃん」とのこと。

意外だった。
28年間、バイであることを隠してきたことはない。
オープンな性格であることと、見た目的に納得されることが多かったからだ。顔が中性的で化粧の仕方でどちらにも見えるのが受け入れられる要因。
男女共々、どちらともお付き合いをしてきた。比率は男の人相手の方が多い。
ただ、恋人のような答えが返ってきたことは、初めてだった。
今まで付き合ってきた人たちの答えは、こうだ。

「え?そうなの?じゃあ彼女作ったら3人で出来るね(クソ)」
「だからそんなに髪短いの?女の子っぽくしてよ」←逆も然り
「ええ、レズじゃないなら敵多いじゃん、やだ」

こんな感じだ。
いろんなベクトルの特別視、好奇心、面白がりを受けてきた。
そんなことで嫌いにはならないが、そう思っているんだという目線にはなる。

だからこそ、現恋人の「気にしなささ」が妙に心地よかった。
「恋人はさ、多様性ってどう思う?」なんて抽象的な質問なんだろうか。我ながら頭が悪い聞き方をしてしまった。

「んー…いい言葉とは思えないかもな。」
またまた意外な答え。
「どうして?」
「うーん、多様性って言葉に該当する人たちって自分たちだけが辛いと思いすぎてないか?って思うから」
「なるほど」

なんとなく、共感する部分があった。
「かれいは、どう思う?多様性って言葉」
私に聞くか、それ。と思いつつ、考えてみる。

時代って、本当に進んでる?

「多様性」と言うワードは少し前から聞くようになったように思う。そのワードが世に浸透してきた時、私の感覚は「グラデーションを理解する」だった。
性が関わる部分は多種多様だ。
「白って200色あんねん」のように、いろんなパターンも種類もある。その全てを否定するようなワードを口に出さない。納得して愛せとは言わないが、理解することは大事だと思う。「そんな人もいるんだなあ」って思うだけでいい。
同じように障害だって今の時代は色々ある。それも「そんなこともあるんだなぁ」って理解しておくことが、「多様性」だと思っていた。

じゃあここ最近の「多様性」は?
私の肌感覚的に「多様性は息苦しさ」でないかと思う。
それはマイノリティー側ではなくてマジョリティー側の話で、「多様性を理解しない人は酷い奴」というレッテルを貼られやすい。
「ノーマルには分からないよね」とか「どうして同性愛だけ分かってもらえないの」とか「普通なだけで勝ちじゃん」とか「結婚出来るからいいじゃん」とか。

え?いやいや。

マジョリティーなら悩みがないとでも?

そんなわけないじゃん。みんな毎日悩んでる。
仕事だって行きたくないし、失恋だってするし自分のことで精一杯だ。
結婚だってしたくてもできない人もいる。みんな同じ悩みがある。
そこに急に「多様性を理解しろ。しない奴はクソ」って言われるのしんどくないか?
差別が酷い時代は確かにあった。いじめられたりハブられたりしたこともあった。私だって「は?きも。好きになんないでね」とか言われたこと、全然ある。
でも、かなり受け入れられてる時代になった。0と1の間にまだまだ数値があることを理解してもらえた。
なのに、それなのに。

いつまで、いじめられてる気でいるんだろう。

「なんかさ、多様性を大事にって言うけどさ、マイノリティーの方が「0」と「1」にしたがるよねって思う」
恋人にそう伝えた。「どういうこと?」と犬みたいに首を傾げる。
「ずっと弱者でいたがって「あんたたちは「1」だからいいじゃん」って言い続けてるような気がする。でもみんなマイノリティーには0.1も0.2もあってどっちかだけじゃないんだって分かってるのになって」

恋人は妙に納得してようで、「確かにね」と。
「かれいはグラデーションの一人でしょ?」と。
確かに私はバイセクシャルでマイノリティー枠になる。
「そうだね。でも自分をマイノリティーだ!って思ったことはないな」
「そうだよね、俺もこいつマイノリティーだよなって思って付き合ってない。バイセクシャルだからとか焦ることもないしどうも思ってない」
「うん」

「それだけの話だと思うんだよね、なんでこんなにどっちかにしたがるんだろうね」

気にしているのは、なんだったんだろうな。


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