中国史座右の銘探求[私選]②
引き続き中国史における個人的に戒めとしたい言葉について書きたいと思います。自分のアウトプット用です。もし宜しければお手すきの際にご覧になってください。
①尺蠖(しゃっかく)の屈するは伸びんがため (易経・繋辞伝)
[意味] 成功するためには、一時の忍耐を必要とする。尺取り虫が体を曲げるのは、次に伸びようとするからだ。
尺蠖(しゃっかく・せきかく)→尺取り虫
[感想] 何かを成し遂げる際に、スランプに陥ることは更なる飛躍のためとも考えられます。余談ですが、この語のあと『竜蛇の蟄するは、以て身を存するなり。』(竜や蛇が土の中で冬眠するのは、その身を保とうとするため)と続きます。
②書を以て御を為すものは馬の情を尽くさず (戦国策・趙策)
[意味] 知識を持っていても、実地について研究しなければ役には立たない。書物から得た知識だけでは、実際の役には立たないことがある例え。→書物にある知識だけを知って、馬を操るものは、実際馬の気持ちを理解して操っているとはいえないので上手くいかないということ。
[感想] 過去に上手くいった方法だから現在に同じように当てはめるのではなく、過去と現在の違いも意識し、より適するよう応用することの大切さを考えさせられます。
③枉(おう)を矯(た)めて直に過ぐ (越絶書・越絶篇叙外伝記)
[意味] 欠点を直そうとするあまり、長所も殺してしまうこと。
「枉」は曲がる、歪む。
[感想] この語は、仇敵や山賊を倒すときに使われています。これらを倒すことは、誠実さを含む反面、不正を正すために度を超しやりすぎる可能性をも含みえます。
短所を正す際には、自身や物事の長所を損ねていないかにも気を配れたらと考えさせられました。例えば「短気」という言葉を自分では短所と捉えたとします。しかし、これはこれは裏を返せば「熱中しやすい・向上心」などという長所を持っているからかもしれません。(あくまで雑な例です) 短所の中には長所が潜んでいるのかどうかの意識も向けられれば、と個人的に思います。