1ヶ月ぶり、24時間自由な日に思うこと。
昨日の13時から明日の朝出勤するまで、全く予定がない。
至福である。
何をしようかと思い巡らすが、日々の緊張感からの解放により脳が何かを判断することを拒否している。
本を読む、ハイキュー映画を見にいく、「不適切にもほどがある」をNetflixで見る、アメトークをTVerで見る...
やりたいことはあるが、どれに時間を割こうかという判断をしたくないのだ。
昨夜、1週間ぶりにパートナーから「仕事が終わらず帰れない」というLINEメッセージがあった。
その他にも、職場の先輩から「CICAシートパック買ったよー」など、本当に興味のないメッセージが送られてきた。
私は知っている。
こういう【つぶやきLINE】にいちいち反応してはいけないことを。せっかくの自由時間を、好きでも嫌いでもない人に割いてはならない。
(嫌いな人ならシカトだが、好きではない人というのが厄介なのだ)
体調の良い時だったり、仕事のテンションを引きずっていてビジネスモードの時は【つぶやきLINE】にうっかり返事をしてしまう。
パートナーは【つぶやきLINE=生存確認】と暗黙の了解があるので、1ターンで終わるが、先輩の方は違う。
先輩は私と何かを喋りたいのだ。
ここで間違えてはいけない。油断せず、メッセージは開かず、そっとスマホを裏返して置くのだ。
私は既読スルーするほどの図太さは持ち合わせていない。
結局、就寝前はYouTubeを見ながらヨガをして、顔マッサージをして西加奈子さんの「うつくしい人」を読み切って眠りについた。
素晴らしい。
私はひとりの時間を【穏やかに】過ごすことができたのだ。
ひとり時間を穏やかに過ごすことは容易いことではない。
先に述べたような謎のLINEが来たり、同居の母親が部屋を訪ねてきたりするのだ。そんなこんなしているうちに、自分の睡魔に負けて寝てしまったりする。
いつどんなことが起きるかわからないのだ。
「どんな返事をしよう?」
「明日は◯時にアポイントだから、◯時には準備しよう」
「お昼は何を食べよう?」
「寝るか、タバコを吸うか」など、日常には小さな決断が潜んでいる。
そのひとつひとつに自分のエネルギーが注がれて、消耗していることを忘れてはいけない。
そうやって少しずつ、疲れていくのだ。やっぱり日々の決断(判断)の回数は少ない方が良いはずだ。
月に一度だけ、決断する項目の少ない日を設けるようにしているのはこういう訳である。
何にも決めないで過ごす日があると脳みそが解けるような感覚になる。
大切な時間だと思う。