おんな
恋とは、かなしいなんてもんじゃない。
うれしいとか愛おしいとか、かわいいとか憎らしいとか、この人の子どもを産みたいとか、この人と一緒に死んでしまいたいとか、そんな気持ちのごちゃまぜが、恋だと思う。
でもわたしは臆病で、あらゆる物事について気にしすぎるたちなので、それらの気持ちを直接相手に伝えたことはない。伝えたら、相手はわたしの執念の深さにおどろいて、尻尾を巻いて逃げ出してしまうかもしれない。だから、これからもないと思う。
そしてそれから、わたしはすぐにでも苦しいことから逃げ出したくなるたちなので、すぐに別れを考えてしまう。
それでもやっぱり会うと、そのひとが愛おしくて、また顔が見たくなって、約束が恋しくなって、返事はうんとしか云えなくて、また次の逢引の約束をとりつける。
堂々巡りだ。いつも帰りの電車に、あるいはタクシーに揺られながら、そうひとりごちる。
もしかしたらあの時、なんて思い出すと上手くいかなくなることは百も承知なので、そういう考え方をするのは百年も前にやめた。
だって、会っている時のあなたが、わたしの中でのあなたのすべてでしょう?すべて分かりきった顔で笑いかけてくれるほほも、物事を思慮するときに伏せるくせのある目も、そしてひときわ美しい睫毛だって、あの時だけはわたしのものでしょう?
それだけで充分なのだ。それだけで。
物分かりの良い、いい女になったな、そう自分を褒めてやれるのは自分しかいない。物分かりの良くて、都合の良くて。でも、それでも幸せなんだったらいいじゃない。世間一般から見て、かわいそうな女でも、それでもわたしが幸せならいいじゃない。
自分の中での飽くなき欲望に身を悶えながら、わたしはあなたに「かわいいね」と云う。最大限の愛の言葉として。
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