愛する男の腕の中で

友永さんが奥さんと別れるという。

友永さんは梅ヶ丘に住んでいて、私より5歳上で、女の子ふたりの父親で、わたしの恋人だったひとだ。


友永さんは言う。妻と別れるのは君のせいじゃないよ、と。だから君はなにも心配しなくていい、と。


まったく馬鹿げている。「妻と別れるのは君のせいじゃない」?「なにも心配しなくていい」?そんなの当たり前だ。わたしはそれらのどれも望まなかったもの。友永さんのこういうところが、本当にきらい。


そりゃあ、妻子もちと恋に落ちてしまったわたしもなかなか馬鹿げていると思うけれど、恋に落ちることをコントロールなんて出来ないのが普通でしょう?好きになることをやめるなんて、みずからを餓死させるためにうちに篭ることくらい、不自然だと思うでしょう?


友永さんとは三年続いた。三年。結婚すらもできないくせに長すぎた春だよ、と他人は呼ぶけれど、わたしには丁度よかった。不倫という陰鬱で野蛮でげびた言葉であらわされる私たちの関係が始まってから終わるには、三年が丁度よかった。


友永さんの好きだったところを思い出してみる。まず、あの目。あの目でみつめられたら目線を外すこともこわくなるくらい、うつくしくて澄んだ目をしている。薄暗闇で見せる、精一杯の我慢の表情。そして、決してわたしをいちばんの女だと、わたしを欲しいと言わない潔癖さ。


わたしは幸福だった。友永さんに出会って、幼い頃生き別れになった兄妹みたいに愛し合った。あるいは前世でも愛し合っていた恋人のように。いつもくっついていたくて、手にも脚にもそこかしこにも触れたくて。一緒に飲んだ熱燗は、いつも身体中に沁みた。夏のはじまりに産まれた友永さんは、夏の終わりに生まれたわたしと、まるでひとつの季節を彩るが如くたくさんの言葉を使って愛を伝えあった。


でも友永さんはいつもわたしに言った。言葉なんて意味がないんだよ、と。実際、見つめあっているだけで、彼の想いはすべて分かった。きっとわたしの想いも伝わったと思う。わたしはいつも、あなたは作家泣かせなのね、と応えていたが、内心は、愛において言葉なんて意味のないものなのだとひしひしと感じていた。


友永さんに別れを告げなくちゃ。丸の内の洋菓子やで、アイスクリームをつまみながら決心した。孤独にもどれる身軽さと、愛する人を手放す孤独をいっぺんに飲み込んだ。



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