雪にうずめる恋

東京に今年はじめて雪が降った日、私はひとつ、恋の埋葬をした。

雪がふるらしいということは前日の天気予報を見て知っていたけれど、やっぱり起きてすぐのあたたかな部屋から窓の外の雪をみると、心はすこしだけ浮き足だった。

朝からテレビでは南の島を旅する特集をやっていて、東京の曇った空とは正反対の澄んだ海とまばゆい太陽が無機質な平面に映し出されていた。それらはせっかくの雪でうきうきしていた私の心をずるずると憂鬱へと引っぱっていった。だって、そこにあのひとと行きたいと思ってしまったから。


これから別れ話をしようっていうのに。


その島のリゾートコテッジはオリエンタル調の家具で統一されていて、広くて真っ白なベッドとバスタブがあった。海の上にあるので、島から長いこと桟橋を歩いて行かなければならないのだけれど、私たちはその長い桟橋の上で何度キスをするか分からないと思った。なかなかコテッジまでたどり着けないな、というところまで想像すると、思わずうふふ、と笑みを漏らしてしまった。


でもやっぱり、ちゃんと別れ話をしなくちゃ。

私は頭を切り替える。もう少し正確に言えば、心をととのえる。あのひととの別離に向かって。


部屋着のままでは落ち着いて話すことができない気がしたし、午後からは出かける用事もあったので、はやめに身支度をととのえて書斎の椅子に座り、あのひとの番号を押した。手がおぼえてしまっている番号。

4回目の呼び出し音が、あのひとの「どしたの」という声に切り替わった。


「あのね、もう終わりにしようと思うの。」


私の声は存外落ち着いていた。いきなり切り出したから(こんなとき、うまいこと話を切り出す方法を、私はまだ知らない)、あのひとはびっくりしたみたいだけれど、「え、なんで」と返ってきた。「え、なにを?」ではなく。良かった。何を終わりにするのか、あのひとにもすぐに分かったみたいだ。


「南の島に一緒に行きたいと思ってしまったから。私は、もうあなたについてなにも望まないと約束したのに、望んでしまったから。足りないから。いくら一緒にいたって、愛されたって、孤独は深まるばかりだって気付いたから。あなたが奥さんの話をするたびに、心が痛むから。はじめはこんなことなかったのに。好きになっちゃったんだわ。せっかく雪がふる休日の朝だっていうのに、あたたかい南の島に一緒に行きたいと思うようになるなんて、私としたことが。」

 

ひと息に言ってしまった。話しながら、我ながら狂ってる、と思ったけれどかまわなかった。


「なんだよぉ、急に。そんなことなの?いくらでも望んだらいい。南の島だって、スケジュールを調整すれば行けるんだぜ。嫁の話だってもう君の前ではしないよ、だからさぁ、」

あのひとは、いつもの甘えた声で安堵したように言う。私の心の中も知らないで、この2年での、私の心の変容も知らないで。それで私がどれだけ苦しんだかも、知らないで。


「ともかく、もうだめなの。じゃあね、情がわかないうちに切るわね。」

情なんて、温泉みたいにわき出ていることは分かっていたけれど、最後の強がりで言ってみた。言い終わるとぶつりと切った。折り返しの電話がかかってきたら、私の残り少ない理性が完全に崩れ去ってしまいそうだったから、あのひとの番号をすばやく着信拒否にして、恋は完全に終わった。

やっぱりうまいこと埋葬は出来なかったけれど、私の心はささやかに満足していた。これで、もう苦しまなくていいんだ。忘れていいんだ。孤独とさようならできるんだ。ぶつりと終わるくらいのほうが、こんな恋にはけりがついてちょうどいいのだ。


窓の外の雪はみぞれになっていて、私は気づかぬうちに泣いていた。手早く化粧直しをして、これから街へ繰り出さなければならない。


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