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映画日記〜リップヴァンウィンクルの花嫁〜

物心ついたときからあがり症。ここぞという時に力を出しきれない。今回も。そう。胸に手を当てなくても分かる心臓の音。深呼吸しても鳴り止まない心音に不安を抱え舞台に立つとガチガチに上擦った声が稽古場に響く。不思議。そう。先生と目が合う。嗚呼、また上手くいかない。

女優の私は1つ1つのオーデをものにしていかなきゃいけない仕事。夢への階段。不可能。情けない。稽古が終わり、衣装、映像機材の詰まったキャリーケースを引き家までの道を歩き出した時、突然ぽっかりと目の前に穴が空いた気がして足を踏み出せなくなる。準備の仕方が悪い。どうやったらもっと役に人を出せた。どうやったらもっと魅力的に場面を作れた。落ち込んでも仕方ない。分かってる。涙は止まってくれない。

この感じ。なんか何処かで知っている気が。そう。『リップヴァンウィンクルの花嫁』の一場面。配偶者、家、職も失った主人公がただただ続く1本道を彷徨う場面。 「此処は何処?自分が今何処にいるのか分からない。どうしたら。いい。私何処へ行けばいい?」

烏滸がましいのだがぐずる子供のよう泣きじゃくり歩く彼女の姿が自分と重なる。そう。彼女もこうキャリーケースを引きずり歩く。そう。私も彷徨い続ける。不安が頭の片隅に過ぎる。

物語中、主人公は非常勤講師として勤める学校の生徒から虐めを受け出会い系サイトで見つけ、結婚した旦那の義母からは浮気を疑われ遂には職、配偶者、家も失う。路頭に迷った主人公はある日、住み込みで100万円という文句に釣られ洋館で家政婦として働き始める。

当初、劇中での主人公はただ周囲にゆらゆら流される人に見えた。寧ろ自分の人生を大きく変えられる程の逆境にあっても仕方ないと受け入れるばかりの態度に苛々。どうしてそんな平然といられる?

もしかして。何度も観るうちふと違った考えが生まれる。七海は突然の通り雨のよう降ってきた運命という舞台に飛び込む覚悟が可能。私は人生に恨み節を言う状況。主人公は安ホテルで働き口を見つけ、館の住み込みバイトで共に働く家政婦と友達以上の関係に。運命により辿り着いた先で自分の場所を作る姿はまるで命綱を付けずに身1つであちこちの高台を渡り歩くサーカスのバレリーナ。繊細で危うく潔い。私はどの場所でも飾らずにありのままで生きる主人公を格好いいと思う。

私は今運命に飛び込める。機会は主人公の人生と同じく思いがけなく降ってくる。「本日オーデ」「明日面接に来て」十分な準備をする間も無く自分を見てもらう機会が次々と訪れる。勿論、有難いこと。此処で作り手の目に留まりたい。誰しもが可能性にかけ臨む。格好つけしいの私はドクドクいう止まらない心音を抱え、張り付いた笑顔で背伸びした自分を演じる。付け焼き刃はプロの審美眼によって直ぐにばれ選ばれるのは何時だってありのままでいる人。

思い返す。オーデという分かりやすい舞台だけでなく過去にも運の種は転がる。学生時代、先生に意見を求められた時、就職面接時。1つ1つは運と言えるかどうか分からない小さなこと。運って小さなことが数珠繋ぎに可能。乗り気でない飲み会に顔を出したらたまたま気の合う人と出会い思ってもいなかった仕事を頂くことも。実は色んな運の種が私の周りに転がる。私は見ないフリをし気づけなかった。音もなくしれっとやってきて「よーい、ドン!」と突然運命のピストルを鳴らす時1歩目を躊躇なく踏出せるかどうかは毎日の生き方次第。

毎日の生き方から変えていくしかない。沢山の失敗を経てようやく分かる。背伸びしてしまうのは自分を良く見せようとしているから。そう。思ってから日常の中から自分を変化させることを試みる。書いてみると嫌になる位大袈裟。大それたことをしてる訳じゃない。どうしてこの選択をし、どう良いと思ったのか目的をはっきりさせて行動するよう心がける。例えば、華奢な体型になりたいから夜ご飯はささみ中心の献立。小さな具合。

本作で運命に振り回され道で泣きはらした主人公は物語の最後自らの意思で人生を歩き始める。彼女はこれから新しい運命に自ら挑戦。日当たりの良いベランダから未来を見る主人公の晴れやかな笑顔で明日に臨めるよう今可能なことから進む。

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