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読書日記〜玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ〜

先月とある演技ワークショップに参加。演技ワークショップとは、俳優達が監督、プロデューサーに実際に会って演技を見て頂く機会。監督から直接指導して貰え、ご縁があれば作品に入れて頂ける。

都心から離れた公民館の1室。顔を合わせた15人の俳優達が何処か気もそぞろに適度に距離を取り座る。参加者の1人ずつ自己紹介後は「じゃあ台本を。1組ずつお芝居して貰う」と監督に演技を観て頂くのがお決まりの流れ。演じるのは別れたカップルが食事中、途中で帰ろうとする女を男が引き止める場面。端の席から順に2人組を作り、3、4分の場面を演じ、監督から評価を伝えられ、軌道に戻し、席に戻る。遂に私の番。名前を呼ばれ荷物をよけて作られた即席の舞台に向かう。

手が汗ばみ冷え切る。じっとこちらを見つめる顔、視線。どんな演技をするのか試されている。嗚呼、下手だと思われたくない見栄。何時もの稽古場とは違う緊張感に更にどぎまぎ。小心者め。

開始音が聞こえると同時に頭が真っ白になった途端、風呂、布団の中でも擦り込んだ台本の1言目が口をついて出る。相手が返す。ちゃんと反応しろ。頭で考える。考えちゃ駄目。立つ、歩く、振り返る。カットがかかる。監督が口を開く。

「なんかな普通」やっぱり。印象、個性的な色がない白黒。どんな性格の人物か、どんな背景を持つ人なのかが掴めない。これまで稽古、ワークショップでも何度も言われてきた。人物像がぼんやり。多分20m先から外郎を見ている感じ。普通。嗚呼、普通って何。何時になったらこの粘着質なもやもやを解くことが可能。

ある時、稽古の先生が教えてくれた。「演技には技術とは別にその人の過去の生き様が表れ独特の雰囲気を放つ人は大きな葛藤、試練を潜り抜け自分で選択。いい。結果、悪い結果も自分で受け止めてきた人が多い」そう。 仮説を鵜呑みにするなら私は両親祖父母みんな健在な田舎の中流家庭で健やかに育ち、人並みな青春、悩み、引っ込み思案を抱えて生きる。母、先生にも褒められ人に認められるよう。いい。子であるように。

特徴がない。誰かに選択の基準を委ねてきたツケ?1人悶々と深夜のベッドの中で考える。こういうことを深夜に考えるのは不眠の元だが不安、後悔が自然発生的に浮かび消えてを繰り返す時ふと思い出した1つの文章。

「邦題になる時消えたTHEのような何かが僕の日々に足りない/玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」の中の1篇。男子高校生2人が7月の青春の爽やかさ、鬱屈さの中で過ごす1週間を綴ったミステリー歌集。初めて読んだ時心臓が抉り出された。特定の事象、ものにつける冠詞のTHE。言い換えればTHEは自分にとって特別なもの、その他大勢を区別する為にある。THEがついていない僕の日々は自分のものでありながら大切なものではない。自分が生きることに無関心。自分が繰り返される日々に消えるようぞっとしたのを覚えている。

私自身にもTHEがついていない。人と同じであるよう誰かに良いと認めてもらう為に。いい。子を生きる。規則、規律をよく守り、先生の世間一般の道徳を良しとすること。家族、学生集団で生きる為には良い選択。集団から浮きでもしたら生きていけない。集団に溶け込む為に個性という名のTHEを削り落とす選択は自分の特を磨き生かす演技の世界で惹きを作らない普通を作る。

嫌、待って。此処で希望を捨ててなるものか。人は努力可能な生き物。何時かSNS投稿で見る。過去、他人は変えられない。未来、自分は変えられる。調べる。アインシュタインも似たようなことを言う。
 
今から過去の人生は考えられない。一朝一夕にはっと目を惹くような人になることは難しい。私は超一般的な普通の人。1つ言えることは普通な私は誰よりも人の悩み、立ち止まる人の気持ちが分かる。世間体に悩み小さな不安が地球滅亡位の大惨事までに膨れ上がる気持ちも。世の中の大半は私のような弱き普通の人。誰もがあるあると共感可能な普通を演じる。私に足りないのは普通である自分を認め、有りの侭を出す勇気。実はそこに勝機がある。

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