読書日記〜「好き」の因数分解〜

「好きなものが似てるからきっと仲良くなれる」私の友達の少なさを見兼ね親友Rが友人を紹介してくれた。こういう友人のお陰で私はまだ外界と接続可能。有難い。

近所のこともあり夕方3人の中間地点、川に集合。駅前コンビニで私はアイスカフェラテ、Rはサイダー、友人の彼は烏龍茶を買い川辺を散歩。私、R、彼の順で並ぶ。西陽で影が長く伸び私の身長が男子2人に負けていないように見える。面白い。「初めまして、れいです」「どうも、よく話はRから聞いてます」と私、彼の辿々しい会話を「あはは俺よく2人の話するからなァ」とよく喋るRが同時通訳みたいに補足しながら取り持つ。何処に行くでもなく歩きながら最近の飲み屋事情の話、それぞれの大学時代、最近の就活についてとたわいもない話題がコロコロ移り変わり「これわかって」と彼が好きな本の話。

「俺、人に本棚を見られたくない」彼曰く本棚は彼の本当のお気に入りしか所蔵しておらずパパッと公開して他人に茶化されたくない。「でもどっかで誰かに見せたいと思ってる俺も居る」「何その中途半端な感じ」とR。「そう」とはにかみながら彼。

滅茶苦茶分かる。アイスカフェラテを口に含みつつ彼の話を聴く。ふと思い出す。『好きの「因数分解」/最果タヒ』エッセイ集。著者が自分の好きなものについて語るこの本はこんな1文から始まる。

「此処にあるのは好きを飛び越えた私そのもの。若しくは、私さえ飛び越えた生きることであると信じているから。」

著者は自分、愛、死、宇宙とかの詩を詠み私達をたった数行の文字でばびゅんと知らない何処か彼方へ連れて行く。とても爽快。私は私達が何時も見ている日常を著者の視線で切り取るエッセイが大好き。

小さい頃「絵が上手くなりたい」と喚く私。「自分のセンスを磨きたいなら自分の大好きなものを集めるといい」と教えてくれた美術の先生。「やって」と促されノートに羅列された好きなもの達。他のものとは違う不純物を寄せ付けない特別なを放つ。誰かに見せびらかしたく鍵をかけてしまっておきたいような不思議な感覚。著者の言う通り。大好きなものを全部集めたら自身になる。

「私はこれが好き」と脊髄反射で言いふらせたならどれだけ楽しい。私にとって大好きとは自身に他ならないから。大好きなものを伝えようと思う時、体がカチンと強張り、込み上がった言葉たちが喉元でグッと渋滞。出せないのに出したい、出したいのに出せない中でも本棚に収められている作品達は特別。自分の本棚は自分の大好きなものの塊、価値観の一部、自分の最も柔らかく純粋な部分、私の歩いた歴史、或いは自分の分身。仮に自分の片思いの人が自分と同じ本を大好きならきっと私はどんなことをしてでも彼を落とそうと躍起。そんな聖域を万が一でも傷つけられたらたまったもんじゃない。

グッという渋滞を感じる彼に出会ったことは私にとっては大きなこと。広大な宇宙で偶然出会った同じ星の人。Rにツッコミを受けてはにかむ彼を見ていると柔らかい所を見られて恥ずかしいと思うのは当然。いい。

慎重に強い興味を持ち、互いの本棚について話すうち大好きの共通点が見つかる。80年代のミューズ、岡崎京子。大好きという柔らかい所を通してできた新しい友人とは今でも自分達のオススメを紹介し合う。大好きが繋がり広がる感覚、とてもwkwk。

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