洗濯機の横の少年
その少年は洗濯機の横にいつも、いたらしい。
らしい、と表現したのは、その少年は私には全く見えてはいなかったからだ。
それは、確か二十歳を少し過ぎた頃だろうか。私は、所謂「幽霊」というものが、見えなくなっていた頃だ。
今思えば、それ程頻繁にそういうことがあった訳ではなく、それなりにそれなりの事情があり、その人達は姿を現したのだろうと思える場面だけであって、のべつまくなし「幽霊」がいた訳ではなかった。
例えば、決まった時間に決まったルートを歩いて壁へ消えるだけの花柄のエプロンの女性とか。
少し話が逸れてしまった。
それは、新宿から総武線で少しの駅から徒歩15分程の住宅街の中のアパートへ、頻繁に泊まらせて貰っていた頃だった。
私はその頃、ライブハウスへインディーズのバンドのLIVEに行くのに夢中で、終電で帰れないなんてことはざらにあった。
二階建て木造のアパートで、玄関の横の通路に洗濯機が置いてあった。当時は二槽式洗濯機が当たり前の時代で、そして外に洗濯機があることは別段珍しいことでも無かった。
家主は私よりも数年歳上の女性で、霊感があると本人は言っていたのではないかと思う。
「洗濯機の横にいつも男の子が座ってるの」
そういつも聞かされていたから、私はその男の子を踏んだり蹴ったりしないよう、注意してそこを歩いたものだ。
二槽式洗濯機、ブロック塀、トタン屋根。
灼熱に焦げるアスファルトの匂い、冷気に映える黴臭い湿った空気、季節というものを如実に送り出していたそれらの風景たち。
思い出せば胸がぎゅっとなるような昭和の風景だった。
未だに私は「幽霊」というものを、はっきりとは目視したことがない。
それでも、その男の子の話は信じている。
よく晴れた日に洗濯機を回し外へ干し、太陽に照りつけられている時や、雨で外に干すことが叶わず悶々としながら洗濯機を回している時。
いつもその男の子のことを思う。
彼は、きっとまだ、その洗濯機の所にいるのだろう。もしかしたら、洗濯機は、いや、洗濯機どころかその木造のアパートすら存在していないかも知れないが、それでもそこにいるのだろうと思える。
何を思う?
何に縋り付く?
「おねえさんに今僕は思い出されてるのかな」
私はもう当時の私ではなく、立派なオバサンだが、男の子にはおねえさんに見えているのかも知れなかった。
まだ、あそこにいてきちんと体育座りになって、何を思っているのかな。
そんなふうなことを思いながら、今日も私は洗濯機のスイッチをオンにする。
逆らうことなく流れてしまった末路に、互いの存在の無事を祈りながら。
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