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その大きな掌は子供の目を塞がない

これはまだ私が小学校低学年の頃の事だったと記憶している。

何故かと言えば、その場所は小さな町の診療所ではあったが、「大先生」と呼ばれる院長と、「若先生」と呼ばれる息子さんが常時いるところだった。

小学校低学年までは「大先生」の担当、それ以上は「若先生」の担当と分かれていた。そして、その時私は「大先生」に訴えたのだから、小学校低学年だろうと推測する。

その診療所は、田舎の町中の、そこそこ栄えた通りにあった。

大きな門塀の中には子供が遊べる遊具もあったが、すぐ隣に出来てしまった惣菜屋のダクトから吐き出される熱風と、なんとも言えない油の臭いで、私達はそこで遊ぶことは、無かったが。

昔ながらの大きな家屋敷を改装した、診療所。

広い玄関ホール、硝子で仕切られた応接間が待合室だ。二階へと続く階段上のステンドグラスからは、夕方になるといつも橙色の西陽が差していた。

大先生の趣味であるのか、医術をモチーフにした絵画が沢山壁にかけられていたのを思い出す。嫌そうに、医師に肩肌脱いだ着物から腕を差し出す女性の顔がヒョットコのようで、私はそれを見るのが楽しみのひとつだった。

その診療所は当時には珍しくレントゲン室もあり、待合室から奥まった薄暗い廊下のトイレのその先にあったことは、大人になって再会した若先生に確認済みである。

子供の頃の私は、とても貧弱だった。食が細く、すぐ風邪をひいていたので祖母に手を引かれて訪れることは少なくなかった。

何時の事であったかは、はっきりとは記憶していない。

私は、トイレに立って一人で薄暗い廊下の奥に歩いた。

間違えてしまったのだと、思う。

丁度、引き戸の取っ手が目の高さの子供にとって、上に掲げてある○○室という表記は目に入らない。何より、尿意に駆られた子供が冷静であれる筈もない。

急かされる思いで、ガラッと勢いよくその重い戸を開いた。

しかし、そこにあったのは見慣れた男子便器と赤と青の二組のスリッパではなかった。

補足すると、そのトイレは男子便器の隣にまたドアがあり、そこが女性用であった。昭和のまだ未舗装の道路があったような時代のしかも田舎では、トイレというものは大体がそういう作りになっていたものだ。

そこにあったものは、糸車だった。

三角形の部屋。

埃まみれの壁や天井、窓は真っ白にくすんでいて、何も向こうには見せようとしない。

ひと一人がようやくそこに居られるかどうかという狭さの部屋の真ん中に、その糸車は置いてあった。

大きな糸巻き、そして車輪のようなもの。

古びた木で作られたそれが糸車だと理解するまで、少し時間を要した。

これは絵本で知っている、西洋の糸車だ。

理解した瞬間、ゾッと背筋が寒くなった。

開いた時と同じ勢いで引き戸を閉め、順番などお構い無しで私は大先生のいる診察室へ飛び込んで言った。

「糸車があったのよ!」

不思議と、その時の大先生の顔だけは、思い出せない。

しかし、特に順番を守らなかったことを諌められるでもなく、困った顔をされることもなく、ましてや叱られることもなかったとは思う。

大先生は、私を呼んで椅子に座るように言った。水飲み鳥という玩具が置いてある場所だ。ここは、大先生が診察を終えるまで一緒に来た大人や兄弟が待っている為の席だった。尿意など、どこかへ飛んでいってしまった。

その時、診察を受けていたのは小さな男の子で、喉にヨードチンキという真っ赤な殺菌・消毒剤を塗られているところであった。長く細い銀色の棒の先に巻かれた綿に、真っ赤なそれが浸されているのを、直接喉に塗るのだ。うえっと涙目になるその子に、大先生は机の上から綺麗な硝子瓶を取り上げ、頭を撫で「もうひとつお薬をあげようね」といつも言う。

中にあるのは、色取り取りの金平糖だ。

好きな色を選んで、大先生に口の中に入れて貰う。ここまでが、大先生の診察及び処置なのである。

それが恙無く終わり、大先生は私の前に来て目の高さまでしゃがんで下さった。

「糸車というものは、大人の使う道具なのだから、あなたはまだ使う必要はないね」

確か、そのようなことを言われたように思う。

その瞬間、何故だかとても安心した事を覚えている。

そうか、別にそこに「糸車があったとしても」怖がる必要は無かったのだ。

声もなく涙目で頷いた私に、大先生はやはり硝子瓶を差し出した。

「先にお薬をあげようね」

そう言って、白の金平糖を私の口に入れてくれた。カリコリとした歯触りと、舌先へ溶けてくる甘い味。

「あなたは子供なのだから」

そう繰り返し何度も言われ、金平糖を舐めているうちに、糸車のことはどうでも良くなってしまった。

あれから十何年という年月が過ぎ、偶然、若先生と会った時にふとその事を思い出して、聞いてみたのだ。

「トイレの横にあった三角のお部屋は物置だったんですか?」

そう聞くと、若先生は笑いながらこう言った。

「トイレの横は、レントゲン室だよ」

大先生がお亡くなりなってしまった今、あれは単なる白昼夢のようなものであったのか、大先生はどんな意図で私にあの言葉を投げてきたのかは、もう知る術はない。

しかし、今でも覚えている。

「あなたは子供なのだから」という言葉には、差別も侮蔑も、大人の事情も、それによる勝手な隠匿も含まれてはいなかった。大先生の言葉は、子供の目をその大きな掌で覆うことは決してしなかったのだ。

そこにはただ、小さく稚い者を慈しむ愛だけがあったことだけは、私自身が「大きな掌を持ってしまった今」だからこそ、忘れないでいようと思う。




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