日本のパンクバンド、アナーキーの衝撃!! 「ノット・サティスファィド」

1980年、日本の音楽シーンに一つの衝撃が走りました。それは、パンクバンド「アナーキー」の登場です。彼らは、その独特なスタイルと音楽で、多くの若者たちに影響を与え、日本のパンクシーンにおける重要な存在となりました。

アナーキーは、1978年に結成され、1980年にビクターインビテーションからメジャーデビューを果たしました。デビューアルバム「アナーキー」は、その後の日本のパンクロックに大きな影響を与えることになります。彼らの音楽は、社会に対する鋭い批判と、若者たちの反骨精神を象徴するものでした。アナーキーのメンバーは、埼玉県立和光高等学校や埼玉県立浦和工業高校出身の団地育ちの若者たちで、彼らのリアルな生活感が音楽に反映されていました。

アナーキーの楽曲は、セックス・ピストルズやザ・クラッシュなど、イギリスのパンクムーブメントからの影響を受けつつ、日本独自の文化的背景を融合させたものでした。彼らの歌詞は、当時の若者たちの不安や怒り、希望を代弁するかのようであり、多くのファンを獲得しました。

しかし、バンドは1986年に活動休止状態になり、その後も何度かの復活と活動休止を繰り返しました。2018年には、オリジナルメンバーで活動を再開し、「亜無亜危異」として再びファンの前に姿を現しました。彼らの音楽は、時代を超えて多くの人々に愛され続けています。

アナーキーの音楽は、ただの反逆の象徴ではなく、自分たちの生き方を貫く姿勢を示すものでした。彼らは、日本のパンクシーンにおいて、独自の道を切り開いたバンドとして、今もなお語り継がれています。アナーキーの衝撃は、1980年の日本に限らず、現代においてもなお、多くのミュージシャンや音楽ファンに影響を与えているのです。

余談ですが、竹内まりやさんの夫としても有名な山下達郎さんも彼らの大ファンなんですよね。山下さんは遠藤道郎さんが自分の曲をカバーしたことに対しても大変感謝していて、ミチロウさんが死去された時も追悼のツイートをあげるようなパンクファンだったのです。。。。

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