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超難解なピロートークを繰り広げる男の話(恋と深空 ホムラ 『潮間帯』)ネタバレあり感想

 『潮間帯』を読み終わったあと、呆然としてしまい、しばらく動けなかった。

結局なんだったんだ???私たちは何を見せられていた??

 これまでのストーリーの総集編というか。思念、秘話、絆デートなどなどを総動員しなければ読み解けない「超難解ストーリー」だと感じた。それ限定思念でやるんか。メインストーリーでやらなくていいんか。そこに愛はあるんか!?!?

 この思念のPVが告知された時も、あまりのセンシティブさに全世界に衝撃を与えましたけど、蓋を開けてみれば、心の跡シーン以外も衝撃的。ホムラという人物を読み解くにあたって、とても重要な意味を持つ思念だと思ったよ。私はこの思念を「ホムラの心の闇煮込み鍋」と命名します。

 そうかー、ホムラの心の闇について語られるのはこっちだったかー。てっきり外伝で明かされると思いきや、そっちには出てこなかったので、かなり油断していた。外伝でホムラの闇について触れられなかったので、彼はそういう激重感情はとっくに整理がついていて、自分自身で消化できる立派な大人なんだと思い込んでいたよ。違ったよ。逆にグツグツ煮込んでんじゃねーか。もう煮込みすぎて闇が煮詰まってるよ。かなりヤバい状況になってるよ!!!

 ということで、ここから先はネタバレあり感想です。

(以下ネタバレありです)(これまでの思念、秘話、絆デート、世界の深層など、あらゆるネタバレに配慮していません)(あと無駄に長いし、妄想もたくさん入ってる)(ほんとうに長いです。あくまで一個人の解釈です)


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 ホムラは痛みを抱える人だった。この点については、これまで配信されてきた物語の中で、既に明かされていたことである。

 リモリアの同胞が人間に虐殺されていること、主人公への身を焦がすような想い、陸の世界になかなか馴染めないこと、などなど。ホムラは一見すると「おもしれー男」に見えて、その胸の内にはたくさんの感情を秘めたる人だ。

 それじゃあ、今回の物語で新たに見えてきたものは何か。今回のポイントは、

①ホムラが主人公に弱さを曝け出せるようになった
②ホムラの本当の苦悩がホムラ自身の口から語られた
③主人公とその苦悩を分かち合い、共通課題として認識できた

ってところかな。

 ホムラの苦悩は、これまで断片的にしか出てきていなかったように思う。『潮汐の章』では、いまいち踏み込みきれてなかったし、『溺れるままに』では、主人公はホムラが悩みを抱えていることに気づいていて、核心に迫ろうとするが、最終的にはホムラに「気のせいだよ」って一蹴されていた。なので、個人的には今回の思念は『溺れるままに』の答え合わせのような思念だと思った。主人公がぼんやりと感じていたホムラが怖がっているものの正体が明らかになった感じだ。

①ホムラが主人公に弱さを曝け出せるようになった

・なぜホムラは弱っていたのか

 物語の冒頭から体調が悪そうで、不機嫌なホムラ。その土地特有の暑さと乾燥にやられているのかと思いきや、物語を読み進めていくと、それだけではないことがわかる。物語の中盤で、ホムラは砂漠の中に残された水面を見て「ここはもう海とは言えない」「この海の声も……小さくなってしまった」と言っている。英語版ではこのようなセリフとなっている。

The sound of this sea…has become feeble.
この海の音は……弱々しくなってきた。

 feebleは物理的な力に限らず、精神的な弱さを表現するにも使われる単語で、体力や気力の不足、無力感を表し、特に病気や高齢で弱っている様を描写する時に使われるものだ。そして、これは弱っているホムラの状態を表しているとも言える。

 ホムラは以前ここを訪れた時も同様の状況に陥り、砂丘と海が出会う場所の絵を描いたと言っていた。詳しくは後述するが、ホムラはインスピレーションは痛みから生まれると信じていた。なので、ホムラは消えゆく海を見て、それに呼応するように心を痛めていたことがわかる。

 つまり、消えゆく海はホムラに重大なショックを与える。そして、海が消えていく様をただ見ることしかできない、これが「自分にはなにもできない無力感=もどかしさ」なんだと思った。そして、主人公はここにホムラの「孤独」を見出している。

・ホムラの抱える孤独の正体

 ホムラはリモリアを愛している。というより海全体を愛している。海は彼の生まれた場所であり、彼の根幹を支えているとても大事なものだ。そんな彼にとって、消えゆく海=故郷の喪失だ。それは、何よりも守りたかった場所であるはずだ。だからホムラは人間界に溶け込めない。というより溶け込もうとしていない。ホムラはことあるごとに「人間」と「リモリア人」を線引きし、「自分はリモリア人である。人間とは違う」というスタンスを貫いている。なので、人間社会に馴染んでいるようで、馴染めない。車酔いするし、自転車に乗れないし、高いところが苦手だし、人間社会で暮らしていく上で不自由となる点がたくさんあるが、積極的に解決しようともしていない。つまり、人間に染まろうとはせず、自ら「孤独」を選びとっているように見える。その結果『溺れるままに』では「彼女は僕のことを理解していない」とか言って主人公を突き放すし、『世界の深層:花束と挽歌』では、「自分の結婚は考えたことはない。リモリアの方が大事だ」と言い放った。ホムラにとって、主人公をとることはリモリアを蔑ろにすることにつながると思っているではないか。ホムラの孤独は故郷を守りたい一心からきているように思える。

②ホムラの本当の苦悩がホムラ自身の口から語られた

・ホムラが恐れていることとは

 物語の序盤でホムラは、自身の創作について「目的を見失っているんじゃないか?」と自問自答している。

かつての僕は、純粋に景色を楽しめる人だった。
ちょっとした、人が気付かないような景色を見つけると、
絵を描く以上の驚きと喜びを得ることができていた。
だけど今は……時々、自分がなんのためにここに来たのか見失いそうになる。
自然を楽しむ感受性を、ただ作品を描くために求めているような……
そういう意識になっている気がして、怖いんだ。

 そして、物語終盤では「愛と創作はとても似ている」と発言している。つまり、ホムラが創作において抱える悩みを、愛の悩みにも置き換えることができる。

▼昔は純粋に、景色を楽しんでいた。
=昔は純粋に、君のことが好きだった。

▼景色を見て、心がときめくから、絵を描いていた。
=君を見て、心がときめくから、君が欲しいと思った。

▼今では、絵を描くために、景色を見ようとしている気がして怖い。
=今では、君を手に入れることに固執している気がして怖い。

 つまり、ホムラが本当に恐れていることは、「主人公を求めるだけの存在になってしまうこと」ということがホムラの口から明かされた。

 砂漠から帰ってきてホムラはこう言っている。

君は僕に、海が退化して砂地に取り残された海洋生物みたいに……
自分では二度と呼吸できないようになってほしいの?

 砂地に取り残された海洋生物の末路は物語の中で語られている。故郷である海に戻ることはできず、陸の上で命を終え、骨となって記念館に飾られている。つまり、ホムラが完全に主人公を求めるだけの存在になれば、一人では生きていけず、主人公に依存するしかなくなる。ホムラの命は主人公の手に委ねられることになるのだ。

・なぜそれを恐れるのか

 じゃあ、思いきって主人公に依存しちゃえばいいんじゃない?って思うが、それをしないところがホムラの理性的で賢いところだと思う。ホムラは自分が主人公に依存すると、次に何が起こるかを鋭く見抜いている。

君は、そんな僕から離れたいと思う?

 いくらパートナーといえども、ウィンウィンでない関係は、不健全な関係性だ。主人公に依存したきりになってしまえば、ホムラはひたすら搾取をする側になる。そうなれば、主人公に見捨てられるかもしれないというのは、想像に難くない。このまま進めば主人公なしでは生きていけなくなるのに、主人公を失うかもしれない。だからホムラは苦悩しているのだ。

 『溺れるままに』で「僕がどんな風になっても、好きでいてくれる?」と言ったのは、この時すでにホムラ自身が主人公を搾取する未来が見えていた故の発言だと思われる。

僕がどんな風になっても、好きでいてくれる?

・なぜ手段と目的が逆転しかけているのか

 ホムラはこれまで、ときめく心を表現するために絵を描いていた。それなのに、今では絵を描くために、心を揺り動かすものを探しに行っている。つまり彼は自分が「手段と目的が逆転した状態」に陥っている自覚がある。そして、これは主人公との恋愛においても同様のことが言える。ホムラは主人公に見捨てられることを極端に怖がっている。主人公に見捨てられたら一人では生きていけないと思い込んでいる。おそらく彼は主人公に見捨てられると、本当にひとりぼっちになってしまうと思っているのではないか。本質的に彼は孤独を抱えるリモリア人だ。そして、その孤独を唯一癒すことができるのが主人公なんだと思う。だから、孤独が積もれば積もるほど、主人公への依存と執着が高まっているのではないかと思う。

 ちなみにホムラの創作における転換点は、秘話で語られているリモリアでの事件が鍵になると思っている。タンレイさんは、その事件前後でホムラは人が変わったようだ、と評している。人間によるリモリア人の虐殺が起きて、ホムラは復讐に身を捧げる一方で、その心の痛みを創作に昇華するようになったのだと思う。

・手段と目的が逆転した結果、起きたこと

 簡潔に言うと、ホムラは愛することは痛みを伴うものだと思い込んでしまった。

かつての僕は、インスピレーションをもたらすのは頭だけだと
かたくなに思い込んでいた。
だから、その痛みを求めて…‥色んな場所を訪ね歩いてきた。

 心はときめこうと思って、ときめけるものではない。そういうのは、何か感動を覚えた時に、自然と出てくる感情だ。なのに、ホムラは絵を描くために、強制的に心を動かそうとしている。絵を描くために、わざわざ痛い思いをしてまで、インスピレーションを得ようとしている。病みつきになる痛みを抱えてまで、主人公を追いかけ続けている。だから、ホムラは創作や愛することは痛みを伴うものだと思い込んでしまった。これは手段と目的の逆転現象によって生まれた痛みを正当化するための防御反応のようなものだと思う。

 つまり、ホムラは自らを孤独に追い込んで痛みを得ていると同時に、その痛みを愛や創作という別の痛みで緩和しようとしている。とんでもないお魚である。でもその痛みは病みつきになり、もはや彼にとって生きることと同義でもある。痛みをもって痛みを制す。さながら自傷行為のようにも見える。泣きそう。

・ホムラの言う「もどかしさ」とは何か

もしものことは、本当にそうなった時に考えればいい。

 これは『珠玉を描いて』で、ホムラが悩める主人公に言い放ったセリフだ。だが、今回の思念では、逆にホムラが主人公にもしもの話をして、主人公に「焦って自分を誤解しているだけ」と諭されている。でも、これはホムラにとってはもしもの話ではないのだと思う。ホムラは賢い人なので、既に自分が求めるだけの人になりなりかけている自覚があるんじゃないかと。そして彼はこの変化に戸惑い、主人公に助けを求めようとする。でも、いまいち踏み込めない。それを彼は「色々な意味でもどかしい」と表現する。

僕はただ……もどかしいだけなんだ……。
色んな意味でね。

 そのもどかしさとは何か。

リモリアについて一人で奮闘するたびに、孤独が積もっていく

この孤独を埋めるには主人公に溺れるしかない

完全に主人公に溺れてしまっては、主人公が離れていくかもしれない

頭ではそうわかっているが手放したくない

 これまで私は、ホムラは「主人公」と「リモリア」を天秤にかけているのかと思っていた。世界の深層を読む限りでは、初期ホムラはそういう考えを持っていたようにも思う。でもこの思念を読んだら、ホムラはもっと独善的で狡猾な気がしている。もちろん彼にとってリモリアのことは大事だろうけど、今では主人公を捨ててまでリモリアを選ぶとは思えなくなった。主人公を失うことは、リモリアの喪失以上にホムラにとって怖いことなのではないか。「主人公とリモリアのどちらを取るか?」という命題はミスリードで、本音は「どうやったら主人公に見捨てられずに、主人公を手に入れることができるのか」な気がしてきた。泣きそう。(2回目)

 そしてホムラは、これを解決するために、主人公から自分を求めるように差し向けている傾向がある。そう、相手を自分と同じ状況にしてしまえばいいわけだ。主人公もホムラに溺れてしまえばいい。そしたら万事解決する。だから、ホムラは重要な決断を自分でしようとしないし、主人公に必ず問いかける。「離れたいと思う?」とか。「君を手放したくない。どうしよう?」とか。それは主人公の意思を尊重しているように見えるが、そうじゃない。主人公がそう言ったから、主人公が許してくれたから、を免罪符にしているようにしか見えない。ちょっとずるい。後述の心の後シーンでも、「ここは僕の部屋だ。君が入ってきたんだよ」って、あくまでこれは主人公のせい、主人公が選びとった結果なんだよって言い方をするしね。かなりの策略家だし、ホムラの末恐ろしいところだなと思う。

③主人公とその苦悩を分かち合い、共通課題として認識できた

・理性の限界点を突破した結果

僕は一人で平気だから。

 砂漠から帰ってきたシーン。ここではまだ理性の方が優勢で、ホムラは「一人で平気だ」と平然と嘘をつき、サロンへ出掛けていく。ここの「僕は一人で平気だから」はダブルミーニングだと思っていて、今夜のことだけじゃなくて、今後の生活全般のことを指しているのだと思う。ホムラによる「僕は君に依存しないよ!」って宣言なんだと受け取った。でも耐えきれなくなって、心の跡シーンへ。ホムラも自立できなくなったら困るので、なんとか抵抗しようとするんだけど、結局無理なのである。とっくに侵食されているから。そう簡単に海へは戻れない場所まで来てしまったから。主人公がいないとホムラは干からびてしまう。もうホムラは潮間帯に囚われているのだ。

 ホムラって無駄に器用で大人のフリが上手いので、彼の本音を引き出すには理性をぶっ放すしかないんだなーと思う。彼の本音を知るにはベッドシーンが必然というか、ベッドで強行突破するしかないのである。ヒューヒュー!!

※余談:このシーン、英語版でも聞いてみて欲しい。「うるさい」のところ、舌打ちしてるんすよ。あのホムラが!舌打ち!!

Tch…

・侵食し合う二人の未来

 ホムラは本来「自他の境界線」がはっきりしている人だと思う。地位や名声に興味ないし、電話で「他人の言うことは気に留めない」って言ってたし、理解できないことは忖度せず相手にズバズバ言うし。嫌いなものは嫌い、好きなものは好きと、きちんと主張しているイメージがある。でも、主人公の話となると途端にそれが曖昧になる。シナリオでは「侵食される」と表現していたけど、まさにそう。自分の存在意義を主人公に求めようとしている。ホムラは主人公への強い依存と執着で、だんだんと自分軸から他人軸(というか主人公軸)で生きることに移行してしまっている。その片鱗が見えるシナリオであった。

 でも、これ、よくよく思い返してみると、タンレイさんに既に指摘されていたことではある。「心の支えを見つけよ!」と言われていたアレである。「支えを持つのは大事だ」と言うタンレイさんに対して、ホムラは「リモリアの方が大事だ」と言う。タンレイさんは、支えを見つけることはリモリアと引き換えにはならないから真剣に考えなさいと言う。それでも聞かないホムラに対してタンレイさんは「じゃあ、彼女を捨てられるのか?」という尋ねる。ホムラはその問いには答えられなかった。当然、ホムラは彼女もリモリアも、どちらか一方だけを選ぶことはできない。ぐずぐずと問題を先延ばしにした結果、その間にホムラの心の闇はグツグツと煮えたぎり、現在のホムラにとって主人公は支えどころか、それがないと生きていけないちょっと不健全な関係になりかけている。

 だがホムラは、物語の終盤でそれでもいいと言っている。この身を焼き尽くすことになってもいいとホムラは受け入れてる。しかし当然、主人公はそれを許さない。そこで主人公は、ホムラに新たな視点を与える。愛することや創作には必ずしも痛みを伴うものではない。だから、それを一緒に探しに行こう?というもの。つまりこれは、手段と目的が逆転してしまったホムラを元に戻そうとしているのだと思う。ホムラを純粋に恋に落ちた頃のホムラに戻してあげたいってことだと思う。

 果たして純粋な恋心を持つホムラってどこまで遡れば見つかるのかわからない。少なくとも臨空大学で教授をしていた頃には既に病みつきになる痛みを抱えていたようだし、子供の頃の出会いまで遡るのか、はたまた忘却の海軸まで遡ることになるのか。

 ただ、私はイベスト報酬のジェンガ思念『心の扉を叩く』に光明を見出すことができる気がした。ここでは二人の付き合い始めの物語が描かれている。ホムラは主人公に「君への忍耐力を鍛える必要があった」と反省し、「ホムラの生活スペースに自由に入れる鍵」を主人公にプレゼントした。ホムラは主人公に振り向いて欲しくて、強引に主人公の心のうちへ入ろうとしていたことを反省し、代わりに自分の心の扉を開けて、主人公が自分の意思でいつでもホムラ側へ入ってこられるようにして、主人公を待つ姿勢を示した。この頃の二人には明確に境界線があり、その境界線を越えるときは、意識的に越える必要がある。あくまで越えるときは勝手に押し入らない、相手の意思を尊重する。合鍵を渡すというあまりに幸せカップルの光景すぎて、それだけでこの思念は尊いのだが、それ以上に今の二人にはない輝きが見える気がして、本当に眩しい。純粋に恋に落ちた頃のホムラってこのジェンガ思念のホムラみたいなことを言うのかもしれないと思った。

・寄り道考察:金砂の海のオマージュについて

 本物語の舞台が砂漠、ということで、否応なしに思い出される思念ストーリーがあると思う。『金砂の海』だ。「ここは気温差が大きいんだ」というセリフで金砂だっ!!!となった方も少なからずいるのではないか。そしてこの物語の構造は『金砂の海』とよく似ているなと思う。つまり、ホムラが一人で苦しんで、一人で解決しようとして、結局最後は二人で海を探しに行こう、となることだ。果たして鯨落都が見つかるかわからない、存在するかもわからない、愛することに痛み以外の意味が存在するかもわからない、でも二人ならきっと見つかるよ、と希望を感じさせる物語になっている。時を超えても、ホムラのことは必ず主人公が掬い上げてくれるんだなと思うと、なんだかジーンとしてしまった。『珠玉を描いて』で、ホムラは何度だってどこの時空でも君を見つけると言っていたが、主人公は何度だってどこの時空でもホムラを救うのだと思った。

じゃあこれからも、一緒に海を見よう。
一緒に鯨落都を探しに行こう。

・ということで、総括

 もうすぐリリース一周年を迎える恋と深空。この一年を通して、散りばめられていた伏線が少しずつ回収されて、やっとホムラの抱える課題が明らかになった感じだった。何一つ問題は解決はしていない。でも一緒に解決すべき課題として、二人の間で共通認識ができたことは大きな一歩だと思う。ホムラは全てを明かしてくれるタイプの人じゃないので、時には不誠実だなと思ったこともあった。『外伝』では「時が来たら、包み隠さず全て君に話す」と言っていたくせに、全然話してくれないし、多分このお魚はまだまだ腹の中に色んなものを隠し持っていると思う。まあ、でもあの主人公ならホムラの心の弱さも丸ごと包み込んで、なんとかしてくれるんじゃないかと思う。なにより、このシナリオでホムラだけじゃなくて主人公もとっくに侵食されていることがわかったしね……。これからこの二人が歩んでいく未来にどうか幸あれと願わずにはいられない。

・おまけ:愛慕思念『燎原の火の燃ゆる日』について

 この思念、聞けば聞くほど『潮間帯』とリンクしているように見えてならない。

 まずホムラの「いつもよりひどいことをしてもいいよね?」発言はちょっとビックリした。「激しくする」とか「意地悪する」とかならまだわかるけど、まさか彼が主人公に対して相手を害する意味のある言葉を選ぶなんて。でも『潮間帯』を読むと、ホムラにとっては本気で愛することは痛みを伴うことであるとわかる。だから痛みを与え合うことで、ホムは愛し、愛される実感を得ているのかなと思った。互いに痕をつけまくろうと仕向けているのもこれが理由かなと。

 また、なにがなんでもホムラが主導権を握ろうとするのは、それだけ主人公に見捨てられることが怖いからだと思った。しかも、彼のずるいところは、主人公に主導権を握らせているように見せかけて、全然握らせていないところである。縛られていても「脱がせて?」ってねだりながら攻めているし、「じゃあ君も、僕に痕を残す?」ってあくまでも主人公の意思でホムラの身体に痕をつけさせようとする。ホムラは日頃から「僕を飼いたいならそれでもいいし」とか「閉じ込められても構わない」とか言って、あくまで主人公の好きにすればいいさ風を装ってるが、あれはホムラが包容力のある大人ってわけではなくて、「僕はがんじがらめに愛されたい」って渾身の叫びだったんかなと思う。ホムラは愛するよりも愛されたいんだ。愛されたがりのモンスター。

 あとは、ホムラくん、理性ぶっ放しても相変わらず口は達者なんですねって思った。さすが喋りのプロ。幼い頃から口は回るタイプだったようだし、彼にとっては考えなくてもできることなんだろうな。でも、言葉では冷静を装ってるのに、全然行動が伴ってなくて笑った。ホムラは言葉じゃなくて行動に出るタイプなんだな〜と改めて思ったのでした。

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