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社会に出て20年経って思うこと~奨学金完済しました!~

株式会社H&H代表の池畑です!
いつもnoteを読んでくださり、ありがとうございます!

学生時代に上限いっぱいに借りた奨学金の返済が終わりました😉
総額600万😵‍💫
私は社会に出た瞬間に600万の借金を背負っていました😓
給与が低い時は毎月の返済を呪った時もありましたが、振り返ってみると自分のモチベーションにもなっていたと感じます。

社会に出て20年が経ち、少しだけですが、経済的にも豊かになってきました。
でも社会に出た時は劣等生でした。

凡人かつ劣等生だった私でできるんだから、誰でもできるだろうと本気で思っています!

奨学金を借りている人も借りていない人も、凡人でも社会において活躍し、豊かになるためのポイントを書いていきたいと思います!

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典型的な苦学生

医療系の大学や専門学校は学費が一般の大学に比べると高く設定されています。なので月12万の奨学金は全て学費に充てました。生活費は自分で稼ぐしかないですが、以前に書いたように高校時代に勉強をまったくしていなかったせいで、遠いところしか入学できず(でも数十倍の難関を突破したんです😉)、通学は片道3時間…毎日が小旅行です。6時前に家を出て、横須賀から千葉県の安孫子(あびこ)というところまで通っていました。授業が終わってすぐに帰っても、帰宅は8時過ぎ…。
なので、バイトもできませんでした…が、私はスロットで稼ぐことが出来ていたので、生活費はギャンブルで賄っていました。

専門学校の同級生は、現役で入学した人は半数で、残り半分は浪人、大卒、社会人経験と様々でした。大半は学費や下宿費は親に出してもらったり、車までもらっている人もいました…。一方私は奨学金とギャンブルで成り立たせている…。ここで社会には格差というものがあり、それは親の影響であることを学びました。(親のことは全く恨んでおらず、むしろハングリー精神を養ってくれて本当に感謝しています!)

そして何とか卒業し、給与や休みなどは一切考慮せずに、自分の学びになるのはどこかという観点で、急性期病院に就職しました。(場所もオシャレなところにあったというのも入社動機でした😁)

給与明細で目ん玉が飛び出る🫣

初めての給与振り込み日。
給与明細の金額は手取り「15万」…
目ん玉が飛び出ました!色々引かれるとか何となくは聞いていましたが、ここから2万円以上の奨学金を返済すると残りわずか…

理学療法士の学校に入学するときは初任給500万なんて求人もありましたが、既にバブルは崩壊し、現実をいきなり突き付けられました💦

当時は実家に住んでいたものの、社会人になったら家から出るべし!という方針もあって、一人暮らしを早々にしなければならず。

でオシャレなところに就職したもんだから、家賃が高い!!ワンルームで10万…('ω')

見栄を張るタイプなので、オシャレな街に住んでしまえ!!ということで、家賃と水道光熱費、携帯代、そして奨学金の返済で、給与は全てなくなるという生活に突入しました!若気の至りです…😅

見栄っ張りな私は節約ということもせずに、オシャレな街でオシャレな生活をしたことで、スロットで貯めたお金はあっという間に無くなってしまいました(; ・`д・´)

学生時代を含めて、貧困生活が健全な欲を作り出してくれました!

バイト生活に突入

独り身の私は、仕事が休みな日は暇です。
ということで、禁止されていた副業をこっそりやることに…
しかし、非常勤は日給が25,000円と高額だったこともあり、土日で20万近く稼げて、常勤超えてるじゃん!と矛盾を抱えながら、週7勤務を続けました。そんな新人生活だったので、猛烈に働くということに抵抗がなくなってきました。
若い時に働くという習慣と稼ぐということはどういうことかということを学べただけでなく、介護の現場でのバイトだったので、医療と介護の両方を学ぶことができ、のちの人生に大きく役立ちました。

そしてまた散財…(-_-メ)

週7で稼ぎ出したもんだから、高級時計(ブライトリングで当時80万くらいだったかと…😓)を買ったり、外車(BMWのX5という中古で800万くらい😓)を買ったり、と散財の生活をしてしまい、貯金は常に0。なので働くしかなく、結婚するまで週7生活は続くのでした…。
ただ、この量をこなすという意味においては人の1.4倍働いているわけですから、成長も早かったと思います。成長もできて、お金も稼げる。お金を稼ぐということが入口でしたが、量をこなせたということが後の財産になってきました。
ここで勘違いしてほしくないのは、時間を投資して働いてよいのは若いうちだけ。若いうちは能力が低いんだから、時間を投資するしかないわけですし、とにかく成長を優先していく必要があります。30代でバイトしなきゃいけないという状態の人は20代の過ごし方(成長の仕方)を誤った結果だと思っています。
年齢を重ねていくほど、肉体労働ではなく、知的労働(マネジメント)に移行していくか、専門性の高いプロフェッショナルで生きれるような20代を過ごさないとこれだけセラピストの数が増えている世の中では生き残っていけません。

転職

2年目を終えた時に私は転職をしました。
先輩や同僚にも恵まれて少しずつ責任のある仕事を任せてもらえたり、自分の成長を実感する毎日でしたが、仲の良かった事務の方に昇給表を見せてもらった時に愕然としました。
大卒と専門卒では給与だけでなく、昇給率も違う。
将来の給与が見えた時に、私は転職を決意しました。
この環境にいれば、自分は成長できるかもしれない。
でも成長しても報われない。
奨学金もあるし、親の亡き後兄貴の面倒も見ないといけないかもしれない、実家に仕送りもしたい。
将来結婚して、子どもが生まれたら…などなど色々考えたら、どう考えても今いる環境でやっていけるはずもない。
そして、病院に出入りしている医師に自分を売り込み、給与交渉をして、転職しました。←自分はやってきた、自分はできると心の底から思っていたので、自信を持って売り込めました。

部門の立ち上げ

転職した先には理学療法士は一人もいませんでした。
つまり、自分が立ち上げる立場だったのです。
成果を出せば、給与に反映するよ!
と医師からは言われていたので、絶対たくさんの患者さんに喜んでもらって、売上を作っていくんだ!
と気合が入っていました。
だから、バイトの合間に勉強会に参加したり、自己投資もどんどんしていきました。
ここでも週7生活!でも非常に充実していました。
ここでバイトでの経験が役に立ちます。
病院から訪問リハを立ち上げて良いという制度ができました。
これも介護施設のバイト先で在宅でのリハビリニーズは非常に高いということは知っていたので、病院で立ち上げたら、地域の役にも立てるし、売上も上がるんじゃないか?と考えて、院長に交渉し、まずは昼休みから、そして売り上げの半分は自分のインセンティブという交渉をまとめて、事業を開始しました。するとこれが当たり!どんどん依頼が来て、専門部隊もできるようになりました。
スタッフも少しずつ増え、昇給やボーナス増額を期待していましたが、途中から微増…😵‍💫定期昇給しかなくなりました。←これも勉強になりました。経営者が給与を上げるのではなく、経営者も給与を取るのであれば、頑張って成果を出している人には正当な評価、報酬を上げないとモチベーションは維持できない。特に能力のある人ほど離れていく。

理学療法士としてはもらっているほうでしたが、自分で売上を作っている自覚があったので、「成果を出せば、給与に反映するよ!」という言葉を信じ、数字を根拠に何度か交渉しましたが、「もう少し頑張ったら…」と言われるだけなので、徐々に信頼が薄れていきました。

そんな時に兄が亡くなる

そんな時に障害を持った兄が急に亡くなりました。
一度しかない人生、いつ終わるか分からない人生。
当時は結婚して、子どもも生まれて、そこそこの幸せは手にしていました。
でも、このままでは食うには困らないけど、子どもや妻のやりたいことをやらせてあげられないかもしれない。
兄の分まで親孝行していきたい。
そのためには、経済的な豊かさも必要だ。
自分のやりたいこともできて、経済的に豊かになることができるのは起業だ!
と思い、起業をしました。

世の中そんなに甘くはない

無事に起業をして、これで経済的にも時間的にも自由になる!
と思っていましたが、世の中そんなに甘くはありません。
儲けが出るまで経営者は自身の報酬は抑えます。私の経営者としての給与は20万🥹
結局、バイトも続けて、サラリーマンの時より圧倒的に時間がなくなりました。
経済的にも時間的にもサラリーマンの時よりも悪くなってしまいました( ・∇・)
それだけではなく、スタッフの質にも悩まされました。

独立しなければ良かった…
と100万回くらい思いました😖

が、諦めることなく猛烈に働きました!
すると少しずつコツが掴めてくるわけです。
ただし自己流には限界があるので、自分の時間とお金を使って、自己研鑽を徹底して行いました。
読書、セミナー、実績を出している人の話を聞く。

当たり前ですが、自分の時間とお金を使って学ばないと意図的な成長は作り出せません。

総務省が調査したデータでは96%の社会人が勉強時間0😅

そりゃ日本が豊かにならないわけです…😵‍💫

「努力は必ず報われるとは限らない。でも努力しないと報われない」

そんな言葉を聞きますが、当たり前と言えば当たり前ですよね…

努力が報われただけ

私は努力が報われただけだと思っています。
もちろん運もありました。
というか非常に運に恵まれていると思っています。
でも運を努力で掴んだと自分では思っています。
努力している姿を誰かが見ていて、手を差し伸べてくれたり、協力してくれたり、応援してくれることが多かったです。
今でもたくさんの人が協力してくれますが、それは私が努力をしているからです。
努力を辞めたら、まだまだ未熟な私から協力者は離れていくでしょう…
一生懸命さというのは、運を引き寄せるためには、非常に重要だと自身の経験から感じています。

まとめ

長々と経験を書きましたが、やってきたことは非常にシンプルです。
・努力をした
・何事も全力で取り組んだ
・健全な欲を持った

見て分かる通り、誰でもできます。
でも多くの人がしないだけです。

社会に出た時は小さな差でも、その小さな差は時間が経てば経つほど大きくなります。
そして、その差は埋められないものになります。
なぜなら努力し続ける人は努力し続けるからです。

おススメは若い時からコツコツ努力をすることです。
なぜなら時間とお金は全て自分のもので、すべては自分の意思でコントロールできるからです。

結婚したり、子どもができたりすると、時間もお金も大切な家族のために使うことになりますし、使うべきです。
独身でも親の介護などあるかもしれません。
いわゆるライフイベントが増えてきます。

人生のどこかで、自分の成長のペースを落とさないといけない時が来ることが多いです。
そんな時に、安心してペースを落とせるようにできる限り成長できるときにしておいた方が良いです😊

でも年齢を重ねていても手遅れではないですからね😊


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