私の幸せの定義
私は九州の長崎県出身です。
長崎は日本の最先端。
JRの線路の先がない!そんな県です。
現在、私は東京と長崎を行ったり来たりして仕事してますが、東京に来ると本当に“数"に圧倒されます。
人の数はもちろん
お店の数
車の数
そして、仕事に関しての数にもです。
私の主な仕事は
"メンタルトレーナー"
長崎ではあまり見かけない仕事ですが、東京にはたくさん同じ職種の方がいらっしゃいます。
数年前はそんな数が存在する中で、毎月7桁の額を収入として得ていたので、今思うと大したもんです!
しかし、現在はその金額を上回ることはあまりなくなりました。
なぜ私がその金額を維持や伸ばすことができなかったのか、客観的に考えてみると、それは
『感謝が足らなかった。』
その一言につきます。
当時、出会ってくれたクライアントの方にはもちろん感謝はしていました。
でも、なんか上辺だけだったのかな?(当時は100%感謝していましたのでくれぐれも誤解のないように…)
こんな、たくさんの人の中から、私を選んでお金を払ってくださっていたことの
"奇跡"とかを全く理解していなかった。
全てはタイミングと言いますが、そのタイミングを軽んじていました。
そして、一番感謝できていなかったのは、
「私自身」にでした。
あれだけの仕事をやっていた自分のことが全く認められず、
「これくらい、誰にでもできる」といつも思っていて、私自身の頑張りや、結果など、全く認めていませんでした。
「やる気があって、行動ができれば、誰にでも何でもできる。」
常にそう思っています。
でも、結果が出ない人は、その"行動"ができなくて、誰でも悩んでいるんですよね。
行動ができて、結果を残せた自分のことは全く認められていなくって、
「まだまだ足りない」「もっと!もっと!」って向上心を取り違えていました。
お金が入ってきた。
クライアントの方に結果が出た。
そんな目先のことにだけに一喜一憂する、時間を過ごしていた様に思います。
私って何?
そんなことを考えていると、
「私って何?」って思いました。
ちょっと哲学的ですかね(笑)
目の前の人を勝たせる。とか、
その人が幸せになることを考える。
じゃあ、私のことは?
単純にその疑問が湧いてきます。
私の幸せって何?私の幸せってなんだろ?
いつでも好きなものを買えるお金がある。
家族がみんな楽しそうに、幸せに暮らしている。
そうなんですよね。
幸せって、結局、最初は自分のことからなんですよね。
社会貢献とか、地球環境の事とか、そんなことを考えています。
なんて言うけど、まずは自分と家族のことなんですよ。
でも、社会が幸せに暮らせない環境ならどうする?
そう思うと、「社会貢献はとても大事な課題じゃないか!」と叫ぶ自分もいたり。
結果、社会貢献も環境問題も自分のためにやりたいんです。
私はいったい何で満たされる?
望んだものがあると幸せだと感じます。
好きな人
好きなもの
それに囲まれると幸せを感じる。
逆を言うと無いと感じません。
じゃあ、私自身を好きなもので囲めば幸せと感じるわけです。
好きなものに囲まれていれば、
幸福を感じる。
今までの私の人生は、妥協の人生でした。
好きなものは買えない。
好きだけど無理。
そう思って生きてきました。
「好き」に囲まれると幸せを確認できる。
物質世界で生きている私たちは、精神世界のことばかりでは満たされないのですね。
精神世界と物質世界。
そのバランスを取ること。
それが、心と経済の関係性。
その「中庸」が取れると、私は「幸せ」を感じ。
感謝ができるのだとわかりました。
たくさんの成功されている方が言われるように、感謝が成功の鍵なら、
何があれば感謝ができるのか。
何もなくても、感謝ができるに越したことはありませんが、私はそんな聖人君子ではありません。
自分で自分に「好き」なものを持たすことをせず、そのことで、お金を稼いでも感謝が持てなかったのは、“好き”で自分を満たしていなかったからでした。
「好きに囲まれる」+「感謝」=幸せ
私の中の幸せの方程式がやっと出来あがりました。
好きなものがわかりません。
そんな人は、「好きなこと」に制限をかけています。
以前の私みたいに、”やってはいけない““持ってはいけない”って好きなことへの抵抗感が強いんです。
だから、好きなもので自分を囲むと一言で言っても、なかなかハードルが高かったりするんです。
私も、「よし!好きで自分を囲むぞ!」と思っても、一体、何が好きなんだろう?と思うほど。
だから、先ずは、少しでも気持ちが惹かれるものを“やってみる”買ってみる”と行動することで自分の好きが鮮明になってきます。
そのちょっとした“好き”の先に自分でも意外だった“好き”が見つかったりします。
例をあげると、ちょっとエッチなことが好きだったとしますよね。そうすると、いろんなことを制限して生きてきた人は、そんなことを認めてはいけない!と潜在意識で思っているので、自分の好きが認められないし、認めたくない。
そういうことで“好き”を追求できなくなったりします。
私自身も私の小さな“好き”をちゃんと拾ってあげて、好きに囲まれると、どれだけ幸せを感じるのか。楽しみになってきました。