
「おかえり」が聞こえる大学生の部屋
今日で7月も終わりということで、びびってます。もう下半期も1ヶ月終了したんですか??
時間の流れの速さに、毎日驚くのですが退屈な日の1時間ってなんであんなに長いんでしょうか。謎です。
さて今日は上京したときの話を少し綴りたいと思います。
夢見た上京と友達との関係
高校3年の頃の私は、東京に行くことが第一優先。都会で楽しく大学生活を送りたい。今までの人生なんて「おさらば」して新しい自分を見つけたい。
と。そんなことはなく、勉強したい学部がやはり都内じゃないと学べないような環境だったので、必然的に状況となりました。
大学で一番最初にできた友人は、このnoteを頻繁に読んでくれているすーさんことともみん。彼女との始まりは、SNSでした。
ハッシュタグ 大学名で同じ学部の子を探し回った冬。
彼女とフォローフォロワー関係になり、そこから話をするようになり、段々と人となりがわかるようになり、大学が始まる前に遊ぶことになりました。
高校や大学で一番最初にできた友人とかグループって衰退することが多いのですが、彼女とは今でも頻繁に連絡をとるくらい、仲が良いです。
今も変わらず信頼しているし、本音を吐ける人には変わりありません。
彼女やもっと個性的な友人Aさん、状況組と仲良くなりました。
終了した一人暮らし
2年の夏。
ふと「寂しい」と感じました。
誰かと一緒に住みたい、人の声が絶えず聞こえる場所が欲しい。
そう思いました。
その当時、というか今でも変わらない友人の1人がわざわざ県をまたいで通っていたことを知っていた私は、同居を提案します。
すんなりと決まった同居生活。
1人暮らしから、2人暮らしになりました。
帰れば「おかえり」、おかえりが聞こえなければテーブルの上にある「おかえり」の手紙。
くすっと笑う瞬間が圧倒的に増えました。何もない日でも、喜怒哀楽が豊かな日も、色んな日々を彩ってくれた友人でした。
大学生という期間は、延長すれば可能ですが大概は限られているものです。その期間を人と一緒に住むことが出来たという経験は何事にも代えがたい宝物だと思います。
コロナ禍の東京に住む
コロナウイルスという悪夢を経験したのは上京4年目でした。
不穏な空気の漂うあの日々を思い出すと、なんだか不思議な気持ちになります。
そんな中でも結構楽しんで生活できたのは紛れもない同居人と周りの友人、知人たちのおかげでした。
家にいて家族とだけと過ごしていたら発狂していたことでしょう。
「おかえり」の声が聞こえる家がある大学生活は最高でした。
戻りたい(勉強はもう満腹ですが)
大学生、上京して良かった
今地元にいる私は、再び状況を望むかと聞かれるとなんとも言えません。
でもあの時上京して良かった。大学生のうちに実家を離れる選択をしてよかった。
大好きな友人や大切な人たちと4年間24時間を謳歌出来て良かった。
そう思いまして、今日も田舎で静かにキーボードと向き合います。