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生きたかった母の分まで

こんにちは。またnoteに向き合う時間が遅くなりました。
寒いし乾燥がすごくて、冬はやっぱり苦手です。
日中は暖かいけれど日が落ちると極寒なのも苦手です。

そんな冬は夏よりも、仕事に集中できなくなったり、息が詰まります。

そんな時にいつも見返すものがあります。

母のスケジュール帳

母に会えなくなってもう2年も経ちました。
母という存在が物理的に無くなり、会話が出来なくなったのに、たまに夢に出てきたり、声がたまに聞こえる事があります。
きっと私の中に彼女は生きているので。

そんな母は1年間治療を受けました。
闘病生活という言葉を嫌がっていたので、あくまでも病と共生していたと言います。言わないと怒られちゃうね。

母は予定を立てることが好きで、旅行の計画とか1日のスケジュールを立てること、建築士として計画通りに進める事にすごくやりがいをもっているような人でした。
おおざっぱだけど(笑)

母のスケジュール帳には亡くなる10日前のページまで記録がつけてありました。

自分の人生を見つめる機会

母はよく食べ、よく遊び、よくお金を使う人でした。
好きなブランドや車とかバイクとか。
子供の私に対しても投資してくれました。


大好きだった紅茶


病が見つかり、ある程度人生の期限の検討が付いた母は、何を考えたのか物をよく買うようになりました。

味覚障害で食事が出来ず、体が言うことを効かなくなり、入院生活と自宅の行き来になりつつあった日々。
物を買って眺めたり、生活の中に彩を持たせて楽しんでいたのかもしれません。

そして、彼女のスケジュール帳の最後の方には「クッキー」という文字。
それに親戚やご近所さんの名前が少し乱れて書かれていました。

お世話になったり、お見舞いをいただいた人に対してお渡しするプレゼントを用意したかったのでしょう。
母が亡くなる前に「これで、おせんべい、買って」と言われた覚えがあります。
緩和ケア病棟の看護師さんや先生に配ってほしいと。

自分のことで精一杯だろうに、またお金使って!(笑)

義理堅い人だったと思います。

彼女の分まで

彼女は私をかなり高齢で生みました。
自分で言うのもあれですが、願って願って出来た私という存在はとても可愛かったと思います。
「孫みたい」と友達に言いまくってたらしく、会うたびに言われます。

建築士として働いていた母は、私を頻繁に確認申請の書類を持っては出かけて、施主との打ち合わせや現場に連れてってくれました。
くれましたというか強制です(笑)
一緒に色んな所にいった覚えがあります。

懐かしい。
そんな経験があったから今の仕事にあたふたせずにいられるところもあります。

彼女はこれからもスケジュール帳にたくさん予定を書き込んでいくつもりだったと思います。
見えない字で今も書いているかも。

たまに漠然とした不安や、燃え尽きに心が折れそうになった時には母のスケジュール帳を見てやる気を起こしています。
一緒に生きているから。
でも、お母さんの分まで働いて全うするから。
何か買って待っててね。

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