精神の強度、現実感の消失、現実と夢の狭間で。
regulusです。
お久しぶりです。
動画の更新も、Twitterの更新も含めて、これだけの長い時間の殻を破る最初の挨拶がどのようであるべきか、正直わかりません。
でも、まず言うべきなのは、心配をさせてしまった皆様へ、申し訳ございませんでした。
正確にはFANBOXというサービスを続けていまして、そちらでの更新はありましたが、それも今年に入ってからお待たせしてしまっている状況です。
必ず、お待たせしてしまった分のリカバリーはします。それは僕のけじめですから、そうさせてください。
では、本題に入らせていただきます。
noteでお伝えした前回の近況報告では、ちょうど2年前の3月に都内の実家を離れて暮らす決意をしたことを書きました。
実際に、その通りに過ごしました。その決意そのものは、今も間違ったものだとは思っていません。
実家にいるまま錆び付くより、現実と夢の狭間で立っていようとしたのは、間違いではありません。今でもそうです。
小田原へ引っ越しました。とても良い街です。海、山、川。それなりに都会で、それなりに田舎で。
ずっと都心で暮らしていた僕からすると、極端に田舎なのは結局合わないだろうし、東京と変わらないような都会に移っても無意味だったので、ちょうどよい選択だったと思います。
それから、部屋を探すのと並行して、仕事も探しました。
正確に言えば、仕事が先に決まったので、勤務地へ通える範囲で部屋を探し、小田原に決めました。
そしてその仕事は、緑のエプロンの、あのコーヒーショップです。
今でも続けています。本当に素晴らしい職場ですが、僕が今回の記事タイトルに繋がるような問題を抱えることになったのも事実です。
先に言っておきますが、それが解決に向かってきた為、落ち着いてこの記事を書いています。心配しないでください。
2年前の記事を書いた直後は、やはりどこか心踊っていました。
一度もしたことのない独り暮らしを始めることは、人生のひとつの区切りでもあり、生活において誰からの援助を受けることなく、言葉通りの意味で扶養から外れるというのは、困難であると同時に、モチベーションを高めるものでもあったのです。
モンハンで初めて、リオレウスやティガレックスのような、パッケージモンスターに挑むクエストを始めるのと似た感覚です。
明らかに困難な強敵であることは分かっていながら、やはりその挑戦自体が胸を高鳴らせるものなのです。そしてその挑戦の為の準備もまた、煩わしさを上回り楽しいものだったのです。
新しい土地での生活と、新しい職場での仕事、人間関係も含めて取り巻く環境の全てが一変したのは誇張でも何でもなく、本当に新鮮でした。
そしてもう一つ大きく違ったのは、授業がない時間に予定を入れるという感覚から、人生の全ての時間の使い道を自分で選択するという変化でした。
これまで小学校、中学校、高校、大学と、ライフスタイルの中心にあるのは当然学校の授業や部活でした。
フリーターとはその制約から放たれ、同時にその庇護も失うのです。
結論から簡単に言い表しましょう。
僕の、新たなる困難に立ち向かう為に準備された、精神的な体力は2年間で底を突いたのです。
初速度を伴って放たれた弾は、空気抵抗によって徐々に減速し停止します。
僕がスタートを切った時の初速度とは、未知への期待と困難への挑戦だったのです。そしてそのスピードがどんなに速くても、初速度だけではいつかは止まってしまうのです。
僕は、前述の仕事に入れ込み過ぎました。
入れ込み過ぎたとはどういうことかと言うと、必要以上に精神的な労力を支払い過ぎたということです。
そして必要以上にというのは、僕が僕自身にとって精神の強度を上回るほどの負荷を自ら進んで掛けてしまったということです。
なぜそうなってしまったのか、説明します。
僕らはオープニングスタッフでした。大学生がほどんどの職場では、社会保険に入るようなフリーターは極少数で、必然的に最初から、稼働の多い人間をリーダーに育成するという話で契約を結びました。
つまり、スタートラインは全員同じ中で、稼働の多いフリーターという理由で、同じオープニングスタッフを統率する上位の役職に就くことがほぼ決まった状態でトレーニングを受けたのです。
これがまた、僕の初速度を高めた要因でした。
そもそも僕の性質として、寄せられた期待に応えたり、周囲に貢献したいという願望が非常に強いため、一緒に頑張る皆の為には、自己犠牲を厭わなかったのです。
かくして、かなり早い段階で時間帯責任者の役割を請け負った僕は、それから1年ほどは、新しく下のスタッフたちが徐々にリーダーになってくるまでの間、精神を磨り減らしてまで業務に全力を注ぎました。
はっきりと言いますが、僕は上手くやれていなかったでしょう。
時間と共に、稼働の少なさがハンディキャップになっていた他のスタッフたちも、経験値を得てリーダー業務に挑戦するようになりました。
当然その中には、より適性のある人間が含まれているわけで、選択肢の少ない中で暫定的にリーダーに置かれていた僕は、劣っていると実感しました。
これは僻んでいるとか、いじけているのではありません。全部が一段落した今、客観的に考えて当たり前のことだったと感じています。
ただ、自分より優れた人間が自分の席を取っていくのは起こり得ることとして、その状況を甘んじて受け入れるか、自分も食らいつくように成長するかは、自分が選べることです。
しかし僕は、あまりに疲れていました。
それと同時に、音楽をしなければ、とずっと頭に浮かべていました。
コーヒーを売るために、ラテを作るために、小田原に引っ越したわけではありません。
いえ、本当はそれも楽しいのです。ひとつの豊かな経験なのです。人生の糧ではあるのです。でも目的ではない。あくまでも寄り道なのです。
リーダー業務など本当はどうでもよかった。先ほど述べたように、僕は大好きな皆に貢献できているなら、頼ってもらえているなら、必要とされているなら、欠けてはならないピースとして認識されているなら、それで良かったのです。それが、良かったのです。
だから、本当に大切なこと、本当に優先すべきことを直視するのを避けてきたのです。
しかし僕が「欠けてはならないピース」ではなくなっていることは薄々理解していました。
役職は依然としてリーダーでありながら、リーダー業務もほぼ任されない宙ぶらりんな時期が生まれ始めました。
無力で悔しかったのは事実です。ただ、それに納得している自分が「それでいいのでは」と問いかけてくるのに、反抗できませんでした。
適性のある人間が当然のようにリーダーを務め、自分は自分のやりたいことに目を向ける。それは成長の放棄とは違う。
ただポジションを手放すことが、同時に「欠けてはならないピース」ではないことを自ら認めることでもあり、それだけが大変な苦痛でした。
最後は、店長が声をかけてくれました。簡単に言えば、音楽に全力を出してほしいと、だから最初の役職に戻そうということでした。
悲しかったのでしょうか。救われたと感じたのでしょうか。よくわかりません。
ただ降格というシステムはあまり視野に入っていなかったので、頑張り続けるか、辞めるかの二択ではない新しい道は、少しだけ衝撃でした。
僕はその場でそれを受け入れました。それが正しいことと、僕も端から理解していたからです。それから前述の苦痛も、受け入れました。
それは2年間、精神的に濃密に接してきた職場と仲間への、精神的な決別で、必要以上に入れ込まないという決心は、これまでの在り方の全てを否定することでもありました。
だから今でもまだ、同僚とコーヒーを売って、ラテを作っていますが、それ以上でもそれ以下でもないのです。
この「決別」が、つい最近のことでした。
精神的な問題、あるいは心の病には、当人では気付きにくいとよく聞きますが、確かにそのようです。
僕は恐らく、離人症、現実感消失症かそれに近いものを抱えていたようです。
ただ元々は、仕事から帰る夜中の道で号泣しながら、家に着いても何もできず寝床で涙を更に流し続けるような日々があり、それは軽度な鬱症状なのではないかと思っていました。
でもそれはただ僕が涙脆いだけで、辛くて泣くのは誰にでもあることです。
しかし本当におかしかったのは、もう少し最近、「決別」するまでの何ヶ月かのことでした。
ある時あたりから、自分を取り巻いているはずの出来事を、自分ではない誰かが体験しているような変な感覚が生まれ、同僚にも「幽体離脱してるみたい」とか言ってました。
実在の自分を、意識の自分が背後霊のように別視点から眺めているような感覚です。
あるいは、これはずっと昔からよく感じていたのですが、映画とかゲームの作品や、夢に没頭していると自分がそちらの世界に移ってしまっているような感覚になり、急にエンディングを迎えて現実に戻されたとしても、そこが現実だと認識するまでに時間がかかってしまうような。
それが、ごく普通の日常においても起き始めてしまっていたのです。
つまり、精神的に移り住める別世界を用意していないのにも関わらず、既に別世界から現実を俯瞰しているような状態です。
もっとわかりやすく言うと、現実がゲームの画面内のようで、本当の自分は画面の外からコントローラーを握って眺めているような感じがするのです。
それこそラテを作っている最中にも、正常な自分の意識がレシピや接客を頭に置いているのとは別に、「何をやってるんだ俺は?」という違う意識が折り重なるように混在しているのです。
雑念が混じって集中していないとかではなく、その雑念が入り込める本来の意識の枠組みとは明らかに外れた、別の枠組みの意識があるのです。
これは明晰夢に非常によく似ています。
つまり「これは夢だ」と理解している現実の自分が、夢の自分を俯瞰しているように、全く同じことが今度は現実で起きているのです。
当然、真実というか真理は、現実が実際に現実なのであり、それを上回って存在している上位の世界などは無いわけですが、この現実を非現実と捉えてしまうような変な感覚が、現実感消失なのだと思います。
その状態を脱した今の僕が思うに、これは精神の保護機構だったのではないでしょうか。
現実のことをフィクションであると認識しなければいけない、あるいは、自分自身のことを自分とは別の人物であると認識しなければいけない。そういう環境が、一種の現実逃避として精神に働きかけていたと考えられます。
今となってはこれだけ冷静に、こんな文章を書いていますが、少し前の自分はそれだけの状態になったということですよね。
これが、2年間で僕が僕自身にとって精神の強度を上回るほどの負荷を自ら進んで掛けてしまったことの結果です。
そして今、こうして皆さんに文章を書いて届けようとしているのは、やっと一区切りを迎え、現実と夢の狭間で必死に立っていようとすることをまた考えるからなのです。
2年前の決心こそ転換期であり、むしろその方向性の変化に比べれば、今回はただ通過点に過ぎないのですが、しかし大きなチェックポイントではあります。
この2年を無駄にしたとは全く思っていません。非常に大切な学びを得たのです。
自分で自分を生かすための生活とはどのようなものか、その為に支払わなければならない時間はどの程度か。
また都内の実家に帰ることも選択肢のひとつとしては存在します。しかし、僕は今のところそれをしようとは思いません。
緑のエプロンのコーヒーショップを辞めることも選択肢のひとつとしては存在します。しかし、僕は今のところそれもしようとは思いません。
ただ、初速度と共に撃ち放たれた2年前の僕は、そのままのやり方ではこうして停止してしまったのです。
現実そのものを、夢として捉えてしまってはいけないのです。
現実を現実として懸命に生き、その過酷さと、目指す理想としての夢との狭間で、必死に立っていようとしなければいけないのです。
だから、精神的余裕、時間的余裕をもう一度生み出して、しかし過酷ではない甘い現実で錆び付くのではなく、その狭間で夢にもう一度手を伸ばそうと思います。
待ってくださっている皆さん、それでもまだ応援してくださっている皆さん、本当に感謝しています。
2023.03.25 regulus
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