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言葉のもつ力
言葉になるということ
言葉は不思議な力を持っていると思います。それはときに美しく、ときに暴力性をはらんだものになります。
英語では「木洩れ陽」を一言で表せられないそうです。
英語では ”sunlight filters through the trees” のようなセンテンスで表現されるそうです。
木洩れ陽ときいてどのような情景を想像するでしょうか、そしてその情景になにを感じるでしょうか。私は「風に揺られた木々の隙間から陽射しが洩れ出る様子」を思い浮かべて、その情景を美しいと感じます。とある情景に木洩れ陽という言葉がついているから、美しいと感じることができるのだと思います。
言葉になることの救い
とある情景や現象が言葉になることで救われることもあると思います。かく言う私は大学一年生の頃に謎の体調不良に悩まされていました。40度を超える発熱や、治ることのない口内炎。終いには水を飲むことすら苦痛な時期もありました。ただそんな症状も病名がつくことで心のなかで少しだけけじめを付けることができました。私が該当しているわけではないですが、「ヤングケアラー」といった言葉は今まで見えていなかった社会問題を可視化してくれました。言葉になることはある時には救いになります。
言葉の持つ暴力性
ではどのような情景も現象も言葉になればいいのでしょうか。言葉になってしまうことの暴力性についてほんの少し考えてみたい。
卒業論文で若者の扱われ方に関して書いているのですが、そこで気になったのが「ニート」という言葉の登場です。ニートという言葉は2004年に登場した言葉で、厚生省では以下のように定義されています。
15〜34歳の非労働力(仕事をしていない、また失業者として求 職活動をしていない者)のうち、主に通学でも、主に家事でもない独身者
しかし、ニートという言葉にはこの定義とはかけ離れたマイナスのイメージが付いています。社会的構造によって生じた若者の雇用問題であるはずがいつのまにか個人の意識の問題にすり替えられていて、強者からの冷笑的な態度がニートと言う言葉に付随してしまっています。ニートという言葉が存在していなければ、こういった批判の対象になっていなかったのかもしれません。他にも「障がい者」「ゆとり世代」……考えさせられる言葉がたくさんあります。障がい者という言葉は、救いにもなり得ます。私が病名に救われたのと同じように。だけれど今の寛容さに少しだけ雲がかかってしまっているの社会では、そういった言葉は誰かを救えないどころか、かえって凶器のような暴力性をもってしまう恐れもあります。
言葉という発明
言葉というのは本来は、目に写った光景・その時に抱いた心情、そういったものを誰かに伝えることができる神秘的な発明のはずです。ノーベルの発明したダイナマイトが物語ってくたように、救いと暴力性は表裏一体です。言葉が救いになる事なんて誰もがわかっているはずなのに、言葉の暴力性ばかり目に入ってしまう社会にもやもやします。少しでも寛容な社会になってくれたらいいな。
卒業論文を考えながら感じたことを文字に起こしてみました。写真にもきっと同じことが言えます。トランプ大統領のあの写真は、救いでもあり暴力でもあると思います。救いとなる写真が撮れればいいなと思います。写真観はいつかそのうちに。
ではでは。
瑞己