1992年の中国経済成長率(長坂祐輔)

中国経済は市場経済化の方向で大躍進し、1992年のGNP(国民総生産)成長率は12%を超える高度成長となりました。これを好感して対中直接投資が激増しました。1992年1年だけで過去10年の総額に匹敵する外資が中国に向かいました。

経済交流が活発化する中で、「平和共存の潮流」が再浮上し、「和平演変反対」のムードは少なくとも表面上は消えました。鄧小平(とう・しょうへい)の開放路線に内在する大きな矛盾は、一党独裁の政治体制と市場経済との間にだけ残りました。

また、GATT(ガット、関税・貿易一般協定)への中国の復帰は市場経済化を促し、中国経済を一層深く世界経済に結合させました。中国を協調的なパートナーに育成するステップとして、ガット復帰は歓迎されました。

中国および近隣諸国にとって、ポスト鄧小平における最大の関心は、中国が政治的安定を維持できるかどうかでした。

経済成長は市場経済化を通じて得られたもので、中国の人々は計画経済の手かせ足かせから解放されていきました。

また、政治的安定こそが経済の持続的発展のカナメとなっているため、それを損なわないよう民主化、基本的人権、香港、台湾、少数民族問題を扱うことが重要でした。

しかし、中国のような発展途上国に対し、ただちに西側流の民主主義を期待するようなら、いたずらに混乱を招き、かえって経済発展と社会的安定の障害になるおそれがあります。経済発展に即応して民主化を進めることが肝要です。

基本的人権の尊重や政治的民主化が世界共通の潮流である点について、当時、中国が特に異なった理解をしているという見方はそれほど強くありませんでした。「生存権こそが中国および発展途上国にとって最も重要な人権である」とした中国政府の白書(1991年)は、「世界人権宣言」に根拠を求めたものです。

問題の焦点は、先進国においてはすでに達成された人権尊重、政治的民主主義を実現しうる条件が、現段階の中国にどこまで存在するかを見定めることにありました。日本は長らく先進国の一員であり、一方でアジアの一員。先進国に対してアジアの文化・歴史の特殊性についての理解を求め、アジアには人権と民主化の問題で最大限の努力を重ねるよう働きかける、という役割が求められました。

長坂祐輔