映画「近松物語」(1954年)/長坂祐輔

映画「近松物語」は、江戸時代に実際に起きた事件をモデルにした悲劇。溝口健二監督。脚本は依田義賢。日本映画の歴史に残る大傑作として評価されています。

元禄時代初期の1683年春、京都の大経師(だいきょうじ)(新暦を独占発行する朝廷御用の職人長)方から美貌(びぼう)の幼妻、おさんと、正直者で聞こえた手代、茂兵衛(もへえ)が駆け落ちしました。しかし、まもなく2人は捕らえられ、磔(はりつけ)に処されました。

世間の耳目を集めたこの実話をいちはやく小説化したのが上方の文豪、井原西鶴(さいかく)でした。事件から3年後に『好色五人女』を出版しました。

少し軽率な「ごりょんさん」として描いた西鶴のおさんに飽き足らなかったのが近松門左衛門でした。

二人の33回忌の年に彼が発表した「大経師昔暦(むかしごよみ)」は運命のいたずらで不倫の仲となったおさんと茂兵衛が、諸欲に溺(おぼ)れる周囲の無理解にかかわらず、純愛を貫く物語となりました。

その主題をさらに美しく昇華させたのが映画「近松物語」でした。

「近松物語」の主演女優は香川京子。小津安二郎監督や黒沢明監督ら名匠の作品に多数出演した大女優です。

香川京子さんは2011年の記者会見で、次のように振り返っています。

たくさんの映画に出演しましたが、一番思い出深い作品を聞かれたら「近松物語」です。演技が出来ず、本当につらい撮影でしたから。でも、あの作品で演技を勉強させて頂きました。

撮影現場に入ると、溝口監督は指示なさらない。「やってみてください」と言って、俳優の動きを見て、カメラの位置を決めるんです。私、どうやって芝居したらいいのか、手も足も出なくてね。

監督の独特の言い方で、「反射してください」と言うんです。自分の番だから芝居するのではなく、相手の言葉、相手の演技を受けてやるものだと。そして「役になりきれば自然に動ける」とも言いました。でもどうしてもそれが分からないんですね。

後で黒沢明監督とたくさんお仕事をしましたが、黒沢監督は「溝口さんと仕事した人は自分で考えるから楽だ」っておっしゃったそうです。それぐらい、自分で考えさせられました。今でも作品を見ると、場面ごとに悩んだことまでが鮮明に思い出されます。

一方、近松物語は、宮川一夫・撮影監督(カメラマン)の傑作でもありました。宮川さんは、日本映画の数々の傑作を撮影した名カメラマン。

照明技師を担当した岡本健一さんは京都新聞のインタビューにおいて「溝口組で宮川一夫カメラマンと組んでやった仕事は、厳しかったけど思い切り冒険できたし、なにより、楽しかった。溝口組で仕事やれて、ほんまよかった」と語っています。


長坂祐輔