見出し画像

【記念日掌編】白を帯びる

修正テープを手に取った瞬間、ふっとあの頃のことがよみがえってきた。私はその白い帯がどこか不思議な道具に見える。過去の痕跡を滑らかに隠してくれる――そんな魔法でもかけられるのなら、どんなに楽だっただろう。

私は52歳。何十年も前、私はもっと強気で、どこか冷たかったと思う。大切な人にも、迷いを見せたことがない。それが彼らを傷つけたと気づくのに、随分と時間がかかった。

20代の頃、身近な人が辛い時期を過ごしていた。何度も電話がかかってきて、「相談に乗ってほしい」と言われたけれど、忙しさにかまけて、私は厳しい言葉を投げかけてしまった。

「自分のことくらい、自分で何とかしなさい」

そう、あの時私は、相手が弱さを見せるのを許さなかった。強く生きなければと、勝手な理想を押し付けて、遠ざけてしまった。やがてその人は一人で問題を抱え、私とはもう二度と会うことはなかった。

その後、どれだけ悔やんだか知れない。「なんで、あの時、もっと寄り添えなかったんだろう」と。謝る機会もなく、ただ後悔だけが残った。でも、今更どうにもならないこともある。

修正テープで文字を消すように、過去の過ちを消せるならどんなに良かっただろう。けれど、人生には修正できないことがある。いくら月日を重ねても、心の奥底に張り付いた傷跡は、簡単に消えはしない。

「それでも、私は変われるのだろうか?」

独り言のように、私は問いかけた。過去の自分を許すのはまだ難しい。でも、未来の自分に少し優しくなれたら、それだけで一歩を踏み出せるのかもしれない。いつまでも背負って生きるのではなく、少しだけ荷物を降ろして、これからの日々を生きることはできるかもしれない。

修正テープが、じっとこちらを見つめている気がした。真っ白な帯が「どうか軽くなって」と囁いているようにも思えた。

「この日を、忘れないでいよう」

私は、修正テープをそっと棚に並べ直した。今日を「新しい記念日」として心に刻むことにする。過去の悲しい出来事を思い返すのではなく、未来に向かうための日として。そして、この日を境にして、少しずつ歩んでいこうと決めた。

白い帯のように、今も過去の全てを覆い隠すことはできないけれど、未来を描き直すための余白を少しずつ作り出せるような気がする。

いいなと思ったら応援しよう!