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【記念日掌編】血を吐いて生きてる

 彼女と知り合って半年が経つ。
 その日一緒に飲んでいた友達と別れ、一人でもう少し飲むかと行きつけのバーに向かおうと歩いていた時、飲み屋街の裏路地の端っこで膝を抱え込んで座っていた彼女に話かけたのがきっかけだった。
 最初は酔い潰れているのかと思って心配して話しかけた。何だか話が噛み合わず、やはり酷く酔っているのかと思い、持っていた未開封の五〇〇ミリペットボトルに入った水を差し出すと、彼女はありがとう、と言ってそれを受け取り、飲みだした。そしてある程度飲んで一息ついた彼女に話かけると、大まかには話が合うのだけれど、局所で意味が分からない返答をしてくる。ちょっと変だなと思って、いつもそうなの? と聞いてしまう。私、おかしいからと彼女ははにかみながら言った。顔では笑顔を作っていたけれど、声のトーンは明らかに落ちていたので、申し訳ないことを聞いてしまったと思った。
 立ち去ろうとしたら、彼女は俺の後ろをついてきた。何か用かと聞いても、別にと返されるだけで、特に理由を述べなかった。彼女の服装・メイク・髪型・その他諸々は所謂地雷系で、そんな彼女をこんな夜中に携えて歩いている俺は、周りの人間からどう思われているのか気になったが、下手に刺激して何か叫ばれたりしたら面倒くさいとも思ったので、そのまま放っておいたらバーの入口まで付いてきた。入る? と思わず聞いてしまうと、彼女は無言で頷いたので、それじゃあと一緒にバーに入った。
 いらっしゃいと言って入口の方を見たバーのマスターがギョッとしたのが分かった。そりゃそうだろう、いつも見る顔の俺と一緒に入ってきたのが、フリフリをつけたピンクと黒のドレスみたいな服を着た女の子だったのだから。一瞬で表情を戻したのはプロだなと思った。カウンターに案内されて、背の高いカウンターチェアに腰かける。そして俺はジントニックを注文した。彼女はあんまりお酒に詳しくなさそうだったので、甘いお酒を適当にと、マスターにお願いした。
 一杯目を飲んだ直後くらいだっただろうか、あんな所で君は何してたのと俺は聞いた。すると彼女は優しくしてくれる人を探してた、優しくしてくれる人なら誰でも良かったとのたまった。俺は損したなと思った。そんな考えの人間に優しくしたところで、いい事は一つも無い。見返りを求めている訳では無いが、感謝くらいはされたかった。いや、厳密にいえば感謝はされるのかもしれないが、それは心から出てきた感謝では無い、と思う。最初から求めていた優しさより、突然与えられた方がよりその度合いは変わってくると思っているからだ。すると彼女は、でも貴方には特に感謝しています、とまるで俺の思考を読んだかのように取り繕った。もしかしたら表情から読んだのかもしれない。その後は一生懸命に俺を持ち上げるような事を言い始め、自分の世界に入ってしまったかのようにペラペラと話し続けて、それが終わった頃、俺は三杯目のカクテルを飲み終えていた。
 少し酔いどれた頭で話を整理しながら、彼女に、君なら別に普通にしてれば優しい人に出会えるだろうと言ったら、私には何も無いからと言って笑った。確かに顔は普通で、美人でも不細工でもない。けれどもなんだかどこか暗さがある。でも普通にしてればいい事はありそうなのに。しかし話しているうちに、彼女は一生懸命故に騙されやすいのだろうなと感じるようになった。良く言えば素直。悪く言えば愚か。騙されてきたのだろうな、と思うような言動も先ほどからチラチラと見えている。多分、優しくされたいのは人が怖い事の裏返しなのだ。悲しい事だけれど。俺もそうだよ、何も無いと言って返すと、あなたは私と似ているねと言って、やはり笑った。そんな事は無いんだよと、俺は先ほど来たばかりのカクテルに口をつけながら思った。
 俺は四杯目を、彼女は二杯目のカクテルを飲み干した頃に、お会計をして店を出た。一応彼女もお財布は出していたが、誘った形になってしまった俺が全て持った。スマートフォンで時計を見ると、そろそろ終電の時間が近づいていた。彼女に、それじゃあと言って立ち去ろうとしたら、待ってと呼び止められた。何事かと思って立ち止まると、彼女はスマートフォンを取り出し、連絡先を交換しようと言い始めた。俺は一瞬躊躇したが、ちょっとした下心が上回り、交換を許諾した。互いのQRコードを読み込ませると交換は完了する。そしてそれが終わったら、じゃあねと言って別れた。
 その後、二週間彼女とのやり取りは続いた。その中で色々と彼女の事が見えてきた。太るのが怖くてよく吐く事。そのせいでたまに血を吐くだとか、指にタコが出来たと言って笑っていた。そして、やはり精神に病気を抱えている事。そんなに赤裸々に語って大丈夫なのかと聞いた事もある。するとこんな返事がきた。

「だいじょうぶ、晒すことは慣れてる」
「でも時々空しくなる」
「生きてるの向いてないのかなって」

 そしてその返事の後、ぱったりとメッセージが止んだ。また次の優しい人を見つけたのだろうなと、何となく思った。
 彼女と知り合って半年が経つ。また今日も血を吐いて彼女は生きているんだろう。どこかでまた膝を抱えて道端に座っているのだろう。

 俺は二番線からの電車に乗って帰った。

【伊達】

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