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【記念日掌編】重さの記憶
結婚式の会場は明るく、華やかだった。参列者たちの笑顔と祝福の言葉が飛び交う中、私はひっそりと心の中で安堵していた。娘がついに巣立った。ようやく、自分の時間が手に入る。娘の成長を喜ぶのが普通の母親なのだろうが、私は違う。正直に言えば、娘の性格は苦手だった。強情で、感情を露わにするタイプ。私はどう接していいのか、いつもわからなかった。娘が私を求めるたびに、心が硬直する。子育てが苦手だったのだ。長い間、娘と過ごす時間は、どこか息苦しく、耐えがたいものだった。
だから、今日の結婚式を迎えた私は解放感で満たされていた。もう、あの気難しい娘に振り回されることはないのだ。娘は新しい生活を始め、私は自由になる。これからの自分の時間を、どんなふうに過ごそうかと考えると、胸が少し軽くなった。
披露宴が進む中、突然、娘が司会者に促されてマイクを手に取った。
「母への感謝の手紙です」
瞬間、会場が静まり返り、全員の視線が娘に注がれた。私は息をのんだ。感謝の手紙だって?どうせありきたりなことを書いているのだろう、と自分に言い聞かせるが、胸の奥がざわつく。
「お母さんへ」
娘が静かに読み上げる声が、私の耳に入ってきた。丁寧に言葉を選びながら、娘は私への感謝の気持ちを語っていた。涙ぐんだ声で、「お母さんが私を支えてくれたこと、ずっと感謝している」と言う。それを聞くと、なんだか現実感が薄れていく。私は何か特別なことをしてきた記憶などない。むしろ、逃げたかった。あの頃の私は、ただ子育てに耐えるしかなかった。
娘の声は、感謝と共に、思い出を語っていた。いつも私がそばにいてくれたこと、迷惑をかけたこと、でもそれでも私が変わらず支えてくれたこと。それを聞きながら、私は、心の奥に押し込んでいた記憶が次々と蘇るのを感じていた。
手紙を読み終えた娘は、一度深呼吸をしてから私の席にやってきた。そして、手紙と共に、重たいテディベアを私に手渡した。
「これ、私の出生体重と同じ重さなの。お母さんが最初に抱っこしたときの重さを思い出してほしくて」
その言葉を聞いた瞬間、胸が締めつけられた。テディベアの重さはずっしりと手に伝わり、その感触はまるで過去の自分に引き戻されるかのようだった。娘が生まれたときのこと。あの小さな体を初めて抱いた瞬間の記憶が、苦しみと共に蘇る。あの重さをどう扱っていいのかわからなかった。育てられる自信もなく、ただ長いトンネルを歩くような子育ての日々だった。
目の前のテディベアは、あのとき抱いていた娘と同じ重さ。手紙とベアに込められた思いが、私の心を揺さぶった。なぜか目頭が熱くなり、必死に涙をこらえた。今さら、あのときの重さを感じ直す意味があるのだろうか。私は娘に対して良い母親ではなかったかもしれない。それでも、こうして感謝されるなんて、皮肉なものだ。
テディベアを抱きしめたまま、私は狼狽する自分を持て余していた。
【桃井】